赤色赤光

■甦る聖地。御忌大会と子どもの歌声に思うこと。

2018年5月1日

先週末、大蓮寺の境内で輪番御忌大会が開催されました。お寺としては7年ぶりですが、今年は幼稚園の65周年も重なったので、年長児130名が協賛出演する機会を得ました。本堂前に張り出し舞台や子供たちのためのひな壇など大仕掛けな、屋外での法要となりましたが、伝統と現在が響きあう意義深い内容となったのではないでしょうか。

住職として、私がしみじみ感じたことがあります。大蓮寺の境内はふだんは幼稚園の園庭として子どもが駆け回っているのですが、この日は屋外に法要の場を設けたことで、この土地に塗り込められた「記憶」がありありと甦ってきた気がしました。そもそも当園の設立は文教の大蓮寺を発祥とし、戦前までここに七堂伽藍があって多くの学僧たちの学び舎であったことに依拠しています。

子どものお念仏はありがちな清興とかアトラクションといったものではありません。その声は時間を超えて、この場所の古層に眠っていた歴史を目覚めさせるのにふさわしいものだったと感じます。まさに「聖地」が甦ったかのようでした。

会場には、お寺の檀信徒と幼稚園の保護者など2百人あまりに参加していただきましたが、中には目頭をおさえる人や、「心が洗われた」という声も聞かれました。

大会は僧侶たちの仏教儀礼と、子どもたちの歌声が混じり合う形で進みました。伝統的なものと、今そのものが一つ場所で共振したのです。忘れかけていた伝統的な感覚が、園児たちの初々しさに引き出され、そこに時間や世代を超えた大きなつながりを感じたのではなかったでしょうか。

いのちは単独では存立しない。老いも若きも、あるいは生も死も連続した存在として成り立っています。仏教と幼稚園の「コラボレーション」の絶妙ぶりに、我ながら心から感嘆させられたのです。

子どもたち、本当にありがとう。法然上人もきっとおよろこびでしょう。

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