赤色赤光

憧れに憧れる。年長児交流。

2017年8月21日

今日から、幼稚園夏期保育が始まりました。まだ三分の二ほどの登園でしたが、やはり幼稚園には子どもたちの声が似合います。
蓮塾の児童たちも登塾でしたので、朝から年長児と小学生のお兄さんお姉さんとの「年長児交流」がありました。年長児と小学生が一緒に6、7名の小さなグループに分かれて、お互いの自己紹介やゲームであそび、最後は小学生のリコーダー発表と歌で閉じました。
最初はお互い緊張気味だったのですが、そこは同じパドマっ子、だんだん馴染み始めて、小学生が年長児に手解きをしたりして、やがて笑い声や拍手が聞こえてきました。誰でも仲よくなれるのが、子どもの特権。ほんのわずかな時間ですが、出会いのよろこび、親交のよろこびが生まれました。

齋藤孝さんの名言に「憧れに憧れる」とあります。先生や親が何かへの強い憧れがあったとします。ゴッホの絵がすばらしいという憧れは、子どもたちに伝えられ、ともにゴッホの芸術を感嘆し、ともに憧れる関係ができあがる。そうなると一方的に教えなくても、学習はどんどん進んでいく、というのです(「新しい学力」)。
今日の交流の場合、憧れの対象は先生ではなく小学生のお兄さんお姉さんです。幼稚園にも学年の違いはあるが、年長児にとって「小学生」はじつは大きな憧れです。1〜2歳しか違わないけど、小学生ならではの思考や表現の片鱗にふれ(小学生のお姉さんのやさしいこと)、年長児は進学への期待に胸高鳴ったのではないでしょうか。幼稚園園児が絶対できない楽器・リコーダー演奏の締めくくりはその最たるものでした。
圧倒的な憧れもだいじだが、そんな身近な憧れも、子どもたち同士を育てていくのです。

かつて兄弟姉妹の中に、そんな憧れの連鎖がたくさんありました。少子化となり、また似たような同質集団の中で、何かに憧れることを持たないまま、子どもたちは「教えられる存在」になっていきます。
自ら学ぶ子どもとなるには、憧れの誰かとの出会いが必要なのです。

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