赤色赤光

目先の便利に溺れない。人生の充実を楽しむために。

2017年9月25日

テレビではお掃除ロボットが人気です。確かに便利なのかもしれませんが、掃除を終えた後の達成感とか、手順や段取りを考える時の計画性とか、当たり前に感じてきたようなことはどうなるのでしょうか。便利さが極大化すると、たいせつなものが失われていく気がします。スマホしかり、インターネットしかりです。

便利が習い性になってしまい、何でも便利/不便で判断をしてしまう感覚は、やがて煩わしいもの、汗をかくもの、時間のかかるものをすべて忌避してしまうことになるのかもしれません。

 

「不便益」という言葉をご存知でしょうか。手間をかけることで、便利さによって失われた何かの気づきや人間関係を促したりすることをいうそうです。

ある介護施設では、階段やスロープなどバリアを意図的に設けているそうです。そうなると、お年寄りは努力するし、介護者や家族も手助けしようとする。不便ではあるが、それが助け合いや思いやりという「不便益」を生みます。

その意味では、幼稚園も不便な場所のひとつなのかもしれません。あれこれ決まりにうるさく、今の時代としてはサービスも行き届いていない。小学校以上になればテストで点数や順位という「成果」が窺えるが、幼稚園では何が育っているかよくわからない。いや、そもそも子育てというものも、関心のない人にはたいそう手間のかかる厄介なものに映るのかもしれません。

 

しかし、それだからゆえ、手をかけ、目をかけ、時間をかけながら、私たちは何ものにも代え難い、人生の充実、よろこび、情愛といったものを享受することができます。

ある人には不便だが、両親がそれを不便であるはずがない。むしろ、不便であればあるほど、得られる人生の充実は大きくなるのではないでしょうか。幼児教育は、便利/不便を越えたところに、無償の愛や生きがいがあることを教えてくれるものだと思います。

 

世間はこれからもどんどん便利を追求していくことでしょう。子ども向けにいろいろなサービスも生まれることでしょう。

そういった便利も上手に活用しながら、けれど、目先の便利さに溺れず、本当に大切なものは何か、何に時間と手間をかけるべきなのか、時に不便に甘んじていくような生き方を親として選んでいきたいものだと思います。

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