赤色赤光

息と行動。ルソーの名言から。

2017年1月27日

  今週半ばから、玄関の聖句が代わりました。
「生きるとは息をすることではない。行動することだ」
18世紀の思想家ルソーの言葉です。絶対君主制の社会から、人民主義の社会へと、近代はここから出発するのですが、この言葉を幼児教育に置き換えて考えてみたいと思います。
人は、まず動物として生まれてきます。他のほ乳類に比べ、人の脳は未発達な状態で生まれ、逆にいえば誕生後の発達はその後のどんな教育を授かるか、それ如何にかかっています。育児放棄された子どもが、生きる力を失い、最悪の場合短命に終るのは、教育の不在という理由に尽きるでしょう。
教育は学校の中にだけにあるのではありません。両親から,家族から、地域から、たっぷりと愛情とかかわりを授かって、子どもは次第に「息をする」存在から「行動する」存在へと成熟していきます。意志を持ち、主体を育んでいくのです。
むろん行動すれば何でもいいのではありません。善悪や正邪、安全と危険、愛情と憎悪とあるように、人間の行動には絶えず裏腹なものを伴います。幼少期はその大事な土台をつくる時期だからこそ、行動を,言い換えれば子どもが生きようとする欲求を、どう正しい方向へ導くのか、秩序や規範を示していくのか、そこに専門職としての教師の関与が必要となります。

 幼児教育もさまざまです。子どものやりたい放題に任せる教育もあれば、特定の能力開発に押し込める教育もあります。ひょっとして大人の都合で、子どもの行動の広がりを狭めてはいないでしょうか。
本当にその子がありたい状態へ、行動を導くには、まずゆたかな環境を惜しみなく与えること。あとは子どもそれぞれの内部から熟成していくものを、じっくり待つという姿勢が肝要でしょう。導く、とは正しい方向へ引き出すことであって、けっして強制することではありません。そこには、子どもと大人の深い信頼や共感がなくては成り立たないのです。
もうひとつ付け加えると、「息をすること」を軽んじてはいけません。脳幹の生存機能こそ、生きることの根本。大きな息ができるから、呼ぶこと、歌うことができます。行動は「深い息」に裏付けられていることも忘れてはならないと思います。

 ルソーの名言は、こんなふうに現代の私たちにも大きな叡智を授けてくれているのです。

  

ページトップへ