赤色赤光

欠落感を自覚する。保育参観終わる。

2017年2月25日

今日は今年度最後の保育参観、大勢のお父さん、お母さんに見つめられ、子どもたちにとっても最高の晴れ舞台となりました。年長児にとっては卒業前の最後の参観日。保育のあと、担任から感謝の言葉を申し上げたところ、参観のみなさんからたくさんの拍手をいただきました。どれほど大きな励ましになったことでしょう。

 もうすぐ卒業式、私たちも胸を張って子どもたちを送り出しますが、ここでひとつ大切にしておきたいことがあります。それは「子どもの成長に私たちは本当に万全であったのだろうか、十分でなかったのではないか」という欠落感です。意外かもしれません。何かを成し遂げるはずであったのに、100%満たされていない、どこか欠いたものがある。後悔とか未練とは違う。寂しさに近い感情です。
 そもそも教育に百点満点があるのでしょうか。とくに幼少期の教育において、完璧な子どもの育ちなどがあるのか。完全な教育などあるのか。私にはそういったことを口にすること自体傲慢であり畏れ多いような気がします。
 良心的な教師であれば、進級・卒業を控えたこの時期に感じる、ある種の欠落感、「ああもしてやりたかった、こうもできたはず」という不完全感は、むしろ教師のこれからにとって大切なもののように思います。どうにも取り返しのつかない時間の経過と、それでも子どもは次の学年へ、学校へと進んでいく現実の狭間で、教師は自分の至らなさ、不完全さを自覚するのではないでしょうか。とりわけ点数とか偏差値とかで「成果化」されにくい幼小教育だからこそ、「できなかったこと」の本質がよく見えるのかもしれない、と思います。
 欠落したものを埋め合わせようと、教師は努力する。もっといい保育をしよう、もっといいかかわりに努めよう。それが、教師にとって絶対必要な課題意識であり、自己改善への道です。それを、次の学年へ、次の子どもたちへとつなぎながら、先生は年々に成熟していくのだと思います。
 完璧と奢らずに、欠落感を自覚する。私がいつも教師たちに贈る言葉です。

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