赤色赤光

網の目は他の網が成り立つために役立っている。クラス会終る。

2017年6月2日

 この火曜日、最年少、年少のクラス会が終わりました。クラスごとに、ほとんどのお母さんに出席いただいて、担任の話を聞いたり、自己紹介したり、最後はみんなで給食の試食をしたり、楽しいひと時を過ごしました。

 中には、こんな声もありました。
「家ではまだぐずりますが、幼稚園では楽しそうで安心しました」
そもそも家(ホーム)と幼稚園(アウェー)は違うもの。子どももその違いを生き分けています。ホームでは親子の愛を独占し、アウェーでは仲間との愛を分かち合う。その違いを楽しめることが、幼稚園生活を満喫してくださる第一歩だと思います。
 子どもたちが園生活で成長していくように、クラスもまた日々「成長」していきます。私からは、同じクラスに巡り会ったお母さんどうし、「ご縁を育む」大切さを申し上げました。一人ひとりの生まれも育ちも違うのに、同じ年に同じ幼稚園に、しかも同じクラスに集うこの出会いは、「誰か」からのはからいとしか言いようがない。その目には見えないつながりを、仏教では「縁起」(ご縁)として大切にしてきました。
 仏教には、偶然とか奇跡というものは存在しません。すべての関係性は、ある因果に基づき、なるべくしてなったのであって、そこには人間の意識を超えた大きなはからいがあります。だから、出会いのご縁をよろこぶのですが、ただしそのご縁を持続して、熟していくのは当人たちの意識やはたらきが必要です。
 子も親も、いろんな個性があります。いろんな感情もあります。それらをよく調え、ひとつのオーケストラのように楽曲を奏でる。顔も姿も違う私たちが、そのご縁を確かなものに育んでいくには、一人ひとりのお母さんの思いやはたらきかけが必要なのです。子も親も、その不断の努力を1年間、積み重ねて、はじめてクラスは本当のクラスとして一体のものになっていくのだと思います。
 
 仏教聖典には、こうあります。
「網の目が互いにつながりあって網をつくっているように、すべてのものはつながりあっている。網の目は、他の目とかかわりあってひとつの目といわれる。網の目は、それぞれ、他の網が成り立つために、役立っている」
クラスもまた、ひとつの網。だから、誰もけっして欠いてはならないのです。
(Re)
 

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