赤色赤光

映画「そして父になる」。なぜ子役はあんなに自然体なのか。

2013年10月3日

 映画「そして父になる」を鑑賞しました。カンヌ映画祭で受賞して、一躍話題となった映画です。さすがの完成度で、見応えのある「ホームドラマ」でした。

 映画の内容については別に任せるとして、私がそれ以上に感心したのは是枝裕和監督の子役の使い方についてでした。この監督は過去にも子役を上手く使った映画があるのですが、今回の作品でもその「素」の演技に、自然体に舌を撒きました。その演技指導は、特異なものだそうですが、まず子役には台本を渡さない。その場面の台詞を与えるだけだが、子役が即興で何か言い出しても撮影を止めない。子どもの自然なふるまいに、プロの俳優がどう反応するかと見ているのだそうです。普通なら決められた台本以外のことを子役が喋り始めたら、撮影は中断されるのですが、そのまま自然な「親子関係」に任せていく。そして、監督は「すぐれた俳優ほど、反応がうまい」というのです(映画の中でも明らかにアドリブというシーンがいくつかあります)。監督は子どもに演技を「教える」のではない。その中にあるものを「引き出す」。また演技のイニシアチブは、大人の俳優がとるのではなく、子どもが主体であって、両者の関係こそたいせつだ。これは、幼児教育のセオリーそのものではないでしょうか。

 パドマ幼稚園の教育もまた主人公は子どもです。先生は、「教える指導者」ではなく、子どもにとって仲間であり、同調者です。毎日の日課をはじめすべての活動は、先生と子ども、あるいは子どもどうしの共感や共鳴を高める体験の場なのであって、そこから子どもの内なる力が引き出されていくのです。
もし先生が細かな演技指導に口出しする監督ならどうでしょう。厳しい指導に子どもは嫌気がさすかもしれないし、あるいは「できない」と泣いてしまうかもしれない。先生こそ、子どもの心地よい反応を引き出し、ともに響きあう存在でなくてはなりません。「教える構え」は必要ないのです。

 「演技指導」をしない是枝監督は、日頃の子役とのコミュニケーションをたいせつにするそうです。撮影以外の時間をなるべくともに過ごす。一緒に遊んだり、遊園地や食事に行ったり、そういう日常を寄り添いながら、監督と子役というより、人間と人間の信頼関係を育んでいくのでしょう。

 日頃の信頼関係こそ、子どもの可能性の芽を引き出す根っこにあたります。一本の映画から、学ぶものがたくさんあると感じました。

 

 

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