赤色赤光

子育て中だから、やっぱり小説を読もう。

2013年11月11日

美しいエッセイを読みました。ある新聞の朝刊に、作家の窪美澄さんが「子育てがつらいときは、小説を読んでみるのもいい」と書いています。ひとり息子を育て上げた自身の体験がベースにあるのでしょう。心に迫ります。

「小さな子どもを育てているときほど、物を近視眼的に見がちだし、見ている世界は狭くなりやすい。それは子どもの安全を守る、という意味で必要なことなのだろうけれど、そういうときこそ心を遠くに飛ばしてくれる何かが必要だ」

 「どういう魔法が起こるかわからないけれど、小説で架空の誰かの感情を体験することで、自分のどこかが、ほんのかすかに軽くなることは確かにあるのだ」

 「小説に限ったことではないが、人間の心にはなぜだかフィクションだけしか届かない場所があって、フィクションでしか癒せない部分があるような気がしている」

  電車の中で本を読む人の姿を見かけなくなりました。多くは寸暇を惜しむように携帯をいじっているし、テレビの話題はしっかりキープしています。でも、本は、小説は、たぶん、だんだん遠ざけられている。「フィクションでしか届かない場所」がどんどん縮んでいると思います。

 窪さんはいいます。

 「子どもが食べ散らかしたご飯を這いつくばって拾い、服に乾いてかぴかぴになったご飯粒がついていても、フィクションの世界にいるときは大富豪にも、殺人犯にも、高校生にもなれるのだ」

  フィクションに逃げる、という言い方もできますが、いや、フィクションを基準に、目の前のリアルとの折り合いをつけることとも言えるでしょう。リアルだけが生活のすべてではない。やはり、子育てはあなたが織り成す心の情景に他ならない、とつよく感じます。

 

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