赤色赤光

園舎設計の建築家と語る。曽我部昌史さんの言葉。

2014年2月28日

 24日、パドマ幼稚園に建築家曽我部昌史さんを招いて、私と公開対談を行いました。対象は当園の職員と関係者です。
曽我部さんは、このたびの全園舎改修工事の設計者ですが、気鋭の建築集団「みかんぐみ」(横浜)の一員として知られ、横浜のBankARTとか鹿児島のマルヤガーデンズなど、印象深いリノベーションを手がけています。
今まで幼稚園で工事といえば、必要な処置をしてもらうだけだったものが、建築家による初の「作品」となります。曽我部さんは大学の研究者でもあるので、若い先生たちに、アーキテクチャーの言葉というものにもふれておいてほしいと思いました。

短い時間だったので、対談は尽くせなかったのですが、それでも曽我部さんの印象深いフレーズがありました。
「完成した建物は文句を言う対象ではなく、自分で考えたから自分で変えていいと思います。建築の使い方は変わるものだから変えていっていい」
「コミュニティをつくるも壊すも、建築次第」
「子どもがどういう空間で育つかは大切です。子どもは学校にいる時間が長いから、空間がダメではダメです」
「(幼稚園の隣りに墓地があるというロケーションについて)大事な場所だと思います。死はある種のタブーだけど、人生の一部であるわけだから、小さい頃から人生を知ることになります…一生に変化や死についての意識を考えないと、美術も考えられない」
「昔、リノベーションは歴史的価値のあるものを保存することでした。今は、(団地やシャッター商店街など)市井の人の暮らしも残すべき歴史といえるでしょう」
「(建築をするにあたって)よくも悪くも、習慣的な考え方や慣習が(建築の)可能性を制限してしまいますが、しかし、思いつかないことに価値があったりするから見極めはむずかしい」

私も自分の思いを述べましたが、施主が設計に注文をつけるのと明らかに違って、「場と文化」を巡る対話がたいそう心地よく感じられました。
建築家の仕事は目に見えないものをカタチにするのですが、しかし曽我部さんの言うカタチとは(リノベーションという工法からして)敢えて変相することをたいせつにしているように思いました。曰く、使う人が変えていけばいい、当たり前を疑ってみる、将来に残るいい経験になる…絶対不変の構造ではない、という発想が新鮮でした。

工事は3月後半スタート、1年の工期を経て、2015年3月に完成予定です。さて、どんな建築になるのやら…今から期待が募ります。

 

 

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