赤色赤光

仏教者はどう読む? 直木賞受賞作「悼む人」。

2009年1月20日

直木賞を受賞した「悼む人」を読みました。天童荒太さんはベストセラー「永遠の仔」以来、じつに7年目の新作だそうですが、流行れば勝ち式の文壇にあって、誠実にひとつのテーマに向き合う姿勢と体力に敬意をおぼえます。

内容は「生と死と愛」という、文学表現の極北ともいえる深いテーマを扱い、人によっては抵抗のあるかもしれませんが、ある種のスピリチュアリズムのような ものを確立して、私は面白く読みました。新聞のインタビューで天童さんが「<悼む>ことは、悲劇にあふれたこの世界と歴史に対峙する、個人の 大きな力」と語っていましたが、これは今の精神の破綻寸前に追い込まれた時代に対する、作家のぎりぎりの回答のような気がしました。文学とか小説でしか、 なしえないレスポンスだと思います。

仏教の「死者を供養する」のも伝統的な悼み方ですが、この本の中ではそういう解決を選びません。限りなく個 人の営みとして<悼み>を追究し、それを編みなおすことによって、世界の危機や精神の破綻に抗うことができるのではないか。個人がまさに公共 にダイレクトにつながってくる、スピリチュアリティの新しい局面が垣間見えたような気がします。まぁ、「大きな物語」を伝えてきた仏教者としては複雑ですが…。

本の中で主人公は<悼み>の方法は、「死者は誰を愛し、誰に愛され、感謝されたか」その3つを知り、心にとどめることだとい います。震災でも6434名という死者の数字だけが踊りますが、そこには一つ一つ顔の違うかけがえのない生死があったはず。日常の死もまた個別性の極みにあります。そのことに残された私たちがどこまで誠実に向き合い、深くつながっていくのか。少ししんどい気もしますが、切実な課題を与えられました。お薦めです。

ページトップへ