赤色赤光

当たり前に感動する。入園3週間。

2012年4月25日

入園3週間が経ちました。幼稚園の玄関でまだ少しむずかるあの子も、教室に入ればすっかり「幼稚園の子ども」。子どもは、家庭と幼稚園という二つの世界を行き来しています。家庭では、家族とともに惜しみない愛を育み、幼稚園では仲間や先生とともに、愛を分かち合っています。二つの愛は似て非なるもの、そして、互いを補い合う両輪の輪でもあります。
もちろん、入園して間もない子どもは、まだ何もできません。でも、ただそこに座っているだけ、そこで一緒に歌っているだけの「当たり前」が、私はすばらしいと思います。

 

 

話は飛びますが、戦争中、ドイツ占領下でアウシュビッツの強制収容所の悪夢がありました。その非人間的な、地獄のような日々を、収容所体験として本に著した精神科医ヴィクトール・フランクルは、明日死ぬかもしれないのに、人々はユーモアを忘れなかったと、書いています。日が沈む美しさ、野花の健気さに感動する。当たり前のものに反応する、その心だけが、絶望を乗り切ることができたといいます。
幼稚園の今も同じではないでしょうか。子どもが笑う、子どもが歌う…そんな当たり前の育ちの中に、本当にたいせつなものがあるのに、私たちはすぐ日常に埋没させたり、外に刺激を求めたりして、それを見失ってしまいがちです。病気を患うと健康のありがたさを知るように、また震災の恐怖に慄いて家族のありがたさを知るように、大事なものは、すぐ日常の足元にあるのです。

親御さんの少なからずが、子育てに熱心であればあるほど、もっともっとと子どもに高次を欲求します。もちろん、伸び盛りの子どもたちですから、希望も期待も膨らむことでしょう。けれど、その根っこにあるものは、まず日々の当たり前をしっかりと見届けることではないでしょうか。当たり前を見くびってはならないのです。
私は、つねづね教員たちにこう言っています。
「幼児教育が使命とするものは、まず当たり前のものをじっくり愛おしむことだ。子どもが仲間とともに生きている、一緒に励んでいる…その一つひとつの当たり前が、尊い。教師とは、率先してその当たり前に感動する人のことだ」と。
その言葉を、ぜひご両親にもお届けしたいと思っています。

ページトップへ