赤色赤光

「語り」は「教え」。涅槃図から学んだこと。

2013年10月11日

 昨日、應典院で子ども仏教教室として、「涅槃図」の絵解きがありました。絵解きとは仏教画をもとに物語る伝統芸能のひとつですが、今回は子ども対象にわかりやすくお釈迦様の入滅のありさまを説いていただきました(使用の涅槃図は江戸時代中期の頃のもの)。絵解き師は、岡澤恭子さん。二人の子どものお母さんでもあります。

 ふだん子どもに語り慣れない人ほど、大声やオーバーアクションで気を惹き付けようとするのですが、岡澤さんの語りは、それとは対照的に静かに、淡々と、一人一人の胸の届くよう語りかけられました。それを食い入るように聞き込む子どもたち。「保育をしている私たちのテンポと全然違います」と年長の先生が感心したように言いました。

 岡澤さんが「涅槃図」から教えとして取り出したものは、シンプルきわまりない生きることの常理のようなものです。

  「人は死ぬ。誰も例外はない」

 「だから、生きているうちにいいことをしなさい。わるいことをしてはならない」

  「いいことをしたら、いつかかならず返ってくる」

  「わたしの教えを守って生きていけ」

  結局何千年も前から、本当に語るべきことの内容も量も変わらないのです。逆にそのコアな原石といつ出会ったかによって、人間の生きる姿勢は決まってしまうのかもしれません。

 はげしく社会が移り変わり、家族もまた小さくなりました。少子化になれば親も子どもも経験が不足します。何が正しいことで、何をしてはならないことなのか。人としてどう生きるべきなのか。拠り所とは何なのか。そういう本質をいっそう意識して見極めていかねばならない、と思ったのです。

  そういう語り(それは絵解き師だけでなく、親の語りもまた同様ですが)を、昔から教えといったのです。

 

 

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