赤色赤光

なぜ日本人は食器を持つのか。新しい給食について

2014年10月24日

食器を持って食べる、というのは日本人だけの食習慣であるということはご存知でしょうか。欧米も中国や韓国でも、食器は置いて、スプーンやお箸で口元に運びます。
また、お箸だけでいただくのも日本人だけです。中韓でもお箸は使いますが、スプーン(れんげ)を併用します。麺類やどんぶりの際に、器に口をつけてかき込む食の仕方も、他国の人たちにはできません。

さて、なぜなのでしょうか。それには理由があります。
まず日本人は平座の文化であったこと。昔ながらのお膳を思い出していただくことわかりやすいのですが、床(畳)に直接座れば、食器と口元が遠くなります。そのため食器を口元に運んでいただく習慣ができた。
もうひとつは、日本人は食をいただく際に、食材となったいのちへの謝意と敬意を表しているからとも言われます。
これも日本人だけといわれていますが、世界で食材に対し「いただきます」と懺悔をする民族はありません。恵みを与えてくれた神に感謝はすれど、私が生き延びるためにここに横たわる獣や魚に「ありがとうございます」と礼を尽くす文化は他国にない。「いただきます」は外国語に翻訳できないといいます。
「いただく」とは「頂く」と書きます。尊いものを拝受する時に、頭上に押し頂く姿と同じです。食器を持つ、というのは、だいじないのちを掲げることと同意なのです。
まことにすばらしい文化である。そう思いませんか。

自園給食が始まって間もなく1ヶ月が経とうとしています。新しい給食室で、調理のスタッフの方々が心を込めて作ってくださったオリジナルの給食です。それをどういただくか。食育の先生や担任の先生と相談して、新しいオレンジの食器がお目見えとなりました。
上蓋をあける。それを下に重ねる。お箸でいただく。手にもって口元に運ぶ。年齢によっては噛み切れなかったり、細かなものはこぼしたり、子どもたちに奮闘してくれるのですが、それもまた食べることの原体験。生きるたくましさを感じます。
「われこの清き食をいただきます。
与えられた天地の恵みに感謝します。
同称十念。いただきます」
毎回唱える食前の言葉の意味が、新しい給食となっていっそう深まった、と感じるのです。

ページトップへ