赤色赤光

いつの間にか知らぬ間に。学園長三回忌を迎えて。

2016年9月12日

  9月12日、今日は、一昨年逝去しました当園学園長秋田光茂師の三回忌を迎えます。幼稚園では9日、お寺では11日、それぞれ関係者の方々と法要を執り行いました。

 
 應蓮社貫誉上人心阿教道光茂大和尚
 
 というのが僧侶としての正式なお戒名です。僧侶特有の道号として「教道」とあるのでは、宗教教育、幼児教育に奉じた生涯を表しているのでしょう。
 「教えの道」とはいいますが、父は常々「教えない教育」を説き続けていました。「教える=教わる」(教師と生徒)の二者関係が確立される遥か以前、教育はもっと生活や暮らしの中にあって身体ごと染み込んでいくものでした。例えば、私たちが日本語を習得していったプロセスがそうであったように、誰から教わった自覚はないが、日々の経験を重ねるうちに、いつの間にか知らぬ間に体得されていったのです。
 「幼児教育は、教えない教育」というのが父の口癖でした。
 
 私が父から「教えない教育」として授かったもののひとつに、「書く」ことがあります。幼い頃、私にとって父は「文筆の人」でした。寺や幼稚園、仏教や幼児教育関係の団体の役職を務めていましたので、膨大な発行物、文書の類いに寸暇を惜しんで取り組んでいました。当時はガリ版の時代なので、鉄筆を舐めながら、ロウ原紙に書き付けていた姿をよく覚えています。
 何を書いていたのか、内容を知る由はありません。しかし、「書く」ことの意欲や熱意、真摯さや粘り強さ、子どもや親にこれだけは伝えたい、という熱い使命感のようなものをその背中から感じ取っていたのです。
 綴り方を教わったことはありません。ただ、夜中、書斎で鉛筆を走らせる父を、ある種の憧れをもって見上げていた記憶があります。
 
 現在の私も相当に文筆マニアです。「わらべまんだら」や各種ニューズレター、ブログやSNSも含めれば、かなりのテキストを量産しています。それが苦ではなく、むしろよろこびに感じられるのは、他ならぬ父の「教えない教育」のおかげというべきでしょう。
 宗教も、教育も、「教え」があります。「教え」は多くは人から人へ、伝えられます。教師とはその代表でなくてはなりませんが、意味や説明よりも、「教え」の要諦はじつはその人自身のあり方から、いつの間にか知らぬ間に伝わっていくものなのかもしれません。
 

 

 

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