赤色赤光

■アート祭終わる。わからなさに立ち止まる。

2023年11月27日

ちょっと以前のお話ですが、11月11日アート祭が終了しました。去年から行事タイトルも変更したのですが、今回から制作や表現方法も大幅に見直しました。今まで個別の作品がメインだったのですが、仲間とともに制作する共同制作がぐんと多くなったことも特徴でした。

話はいきなりジャンプしますが、政治哲学者のマイケル・サンデル氏が9月に来日した際、こんなことを言ってました(要旨)。
「AIが進化した時代になると、私には人間の真正性(本物であること)が失われるように思える。これは人間性の根幹に関わる問題だ。だが実際は、人間であることの意味は生身の現実の人間の存在にある。仮想の存在ではなく、今ここにいる人間と一緒にいて、相手を思いやり、コミュニケーションをとるということだ」
至極まっとうな意見なのですが、現代はそれほど「人である意味」が動揺しているということなのでしょう。
AI的なものといえば、より速く、正確に、わかる、できるという成果を言いますが、であるならば「人間の真正性」とは、「わからなさ」に立ち止まり、誰もが正答を持たない中で、ともに飽くなき探究を深めていくことと等しいのではないでしょうか。幼児教育が「学び」ではなく「あそび」を主眼とするのも、同じです。

今回のアート祭も、ある意味「わからなさ」の森のような場でした。大人が評価する「わかりやすさ」を超えて、子どもが素のままの感性をぶつけてくる。共同制作では、その過程で起こる友達との協力や共創、時に葛藤や不足感も含め、「わからなさ」を含んでいたと思います。
よくできた作品という成果がねらいではないのです。それをインターフェースにしなが立ち現れた子どもたちの関係性やコミュニケーション、仲間意識こそ、本当の「作品」なのであって、それは写真に撮っても写らない。なかなか見えいくいものです。だから、作品が創られていく過程をよく説けるキュレーターのような存在が必要だし、またその意図を汲み取ろうとする鑑賞者の姿勢も必要なのです。担任の先生と、保護者の大事な役割です。参加型アートにもたくさん保護者の参加がありましたが、小さなワーク一つとっても子どもには発見があったり、気づきがあることを感じていただいたのではないでしょうか。

ちょっと大それたことを言っているのかもしれません。しかし、巷に「わかりやすさ」本位ではびこるアートと明らかに違って、子どもたちによるアート祭は、完成品の展示という意味を超えて、様々な読み解きを私たちに与えてくれています。それらは、不可思議であり曖昧であり、謎であるのかもしれない。しかし、そういう「混沌の経験」こそ、私には「人間の真正性」に最も近いアプローチになる得ると思わないではいられないのです。

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