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UAEの掃除教育。何が世界の中の日本なのか

2014年2月5日

 最近ちょっと感心した話。中東のUAEアラブ首長国連邦の話です。
オイル産油国はどこも、将来予想される資源枯渇に備え、豊富な資金を投入して「教育立国」を目しています。アラブはその代表格。首都アブダビには欧米の名だたる大学が分校を出して、世界中から優秀な学生を集めています。ニューヨーク州立大学、マサチューセッツ工科大学、ソルボンヌ大学……学費も寮費も免除、研究費も莫大、となれば、誰だって惹き付けられることでしょう。
私が感心したのは、そのことではありません。その同じアブダビにある日本人学校で、2008年から地元の子どもの受け入れを始めたというニュースでした。皇太子府から要請があったそうですが、きっかけは日本の小学生の規律や規範教育を報道するテレビ放送だったとか。折り目正しい挨拶、礼儀、しつけ、クラスメートと一緒に掃除をする光景は、日本人の和の連帯を感じさせたそうです。心技体を通して、人間形成を掲げてきた日本の「ガッコウ」は、今や「教育立国」のアラブの人たちの憧れの的だというのです。

教育は当然、その国の文化や風土を反映します。フィンランドが優秀だからその教育が日本で通用するかは別の問題です。逆に日本の教育は日本固有のもので、他国では受け入れられないとも限らない。「掃除教育」などは日本独自のものですが、多国籍化の最先端にあるアラブの人々は、それによって育まれる調和力や協調性を評価しているというのです。
パドマ幼稚園の教育は、強いて言うなら、「日本式」幼児教育だと私は述べてきました。欧米型の「教え込む」知識注入の教育ではなく、師弟関係の垣根を払い、シンクロしながら「滲み込む」伝授型の教育は、日本の文化の真骨頂ともいえます。ですが、それだからすぐ「日本式」とラベルを貼ってしまうのは、少し猶予があった方がいいのかもしれません。「○○式」と唱えた瞬間、そうでないものに対し私たちは無関心に陥るし、時には選別的になる危うさもあると思うからです。
いや、意外なことに、その国のオリジナルを極めることが、いちばんグローバルに近いのかもしれない。私は、何が「世界の中の日本」であるのか、当園の教育を通してもう 一度考えてみたいし、じつは今リニューアルを計画中の英語教育も、そこを起点に再考しなくてはならないと思うのです。

 

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