赤色赤光

「多様性」について。大人と子どもがかかりあうということ。

2016年6月10日

昨日から地元の市立南中学校から3名の生徒が、職場体験にやって来ました。子どもたちは大喜び。背丈の大きいお兄ちゃんと、園児たちが一緒にサッカーボールを追いかける場面は微笑ましいものでした。

また、幼稚園はいま教育実習の真っ最中、6名の大学生のお姉さんが毎日子どもたちと活動に取り組んでいます。ですから、朝のローテーションやお昼休みの園庭のにぎやかなこと。文字通りいろんな世代が入り交じりながら、幼稚園の活気を彩ってくれています。

 話は変わります。昭和30年生まれの私は、近所の原っぱで遊んだ世代です。当時は3人5人の兄弟は当たり前で、泣き虫だった私には、中学生のお兄ちゃんはずいぶんと大人に見えました。上の子どもは下の子どもの面倒をよく見たし、下の子どもはやがて自分が上になるとそれを受け継いでいったものでした。家庭にも地域にも、世代を超えたかかわりがあったのだと思います。
 現代では極端な少子化となって、一世代上の子どもと遊ぶ体験も限られたものとなりました。子ども集団そのものが少なくなって、原っぱのような自由空間もなくなると、子どもが遊ぶ相手は、同年代の友だちか、ゲームやテレビとなってしまいます。
今は何でも「おひとりさま」が大事にされますから、個人だけがどんどん一人歩きしてしまう。ひょっとして子どもは「自分ひとりで生きていける」と思い違いしてしまわないか、ふと不安にもなります。
 この世界には多様な人がいます。一人ひとり顔も声も違うし、考え方や生き方も違う。だけど、バラバラでいいのではなくて、違いを超えてなおともにあろうとする思いを育んで、私たちは社会というものを運営しています。かつて子だくさんの家庭や、隣近所の地域社会から、子どもはそんな多様性を学んできましたが、今はそれを意識して育んでいかなくてはならない時代なのだと思います。
 幼稚園もそんな場でありたい、と私は思っています。もちろん安全が第一ですが、その上で、中学生や大学生や、あるいはアーティストや職人さんや、多様な人にとって希望を語る場所でありたいと思います。子どもでもない、ご両親でも先生でもない、そんな多様な人々です。
 そんな違いに気づくことから、多様性は始まります。子どもは大人の予備軍ではありません。異なる存在どうしが互いを認めあい、共生していくために何が必要か。じつは幼稚園という場所は、これからの時代の大きなテーマを見いだすにふさわしい場所なのかもしれません。

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