赤色赤光

保育園反対。失われる子どもへの寛容性。

2016年6月22日

保育所受難の時代です。今年4月に開園予定だった保育所が、「住民との調整」不調のため中止・延期となったケースが全国に13園あるといいます(朝日新聞)。「静かな地区なのに、子どもの声がうるさくなる」「送迎の車や自転車が危険」「調理室からの臭いが出るのでは」と、住民から反対意見が続出だそうです。保育園はいまや「性悪説」に近い存在といえます。
少子化という社会はデータ以上に、人々の子どもに対する寛容性を退化させていきます。子どもを許容できず、大人の価値観をあてはめて、排除しようとする。声がうるさい、臭いがいやと言われれば、もはや保育園は地下にもぐるしかありません。
子どもは未来の宝と謳われてきました。子どもの躍動や歓声はそのまま地域の希望でもありました。なのに、われわれは自分の周辺の利害関係だけに閉じこもり、権利ばかりを主張する。子どもという他者に対するリテラシーがひどく劣化しているように感じます。
当パドマ幼稚園にも、お隣のマンションからも、時々クレームをもらいます。子どもの太鼓の音がうるさい、朝からピアノの練習をするな、保護者の車が迷惑駐車をしている……そういう非難や抗議はけっしてなくはないのですが、しかし、それでも私たち園側が即座に対応して、善処していれば信頼関係はおおよそ保てると実感しています。あるいは子どものみならず、朝の職員の玄関前の見回りや、街路の清掃やそういった「地域関係」を大切にしていけば、両者はゆっくりでも共存できると思います。
以前、マンションの管理組合の長老さんが、私にこう言ってくださったことがあります。
「わたしらマンションの者は、園児さんの歌声に元気もろてますのや」
お互いを思い合う関係を何とか掘り起こせないものでしょうか。
しかし不思議に思うのです。地域の迷惑施設といえば、もうひとつ葬儀場が挙ります。誰も避けることのできない生老病死を、見ないフリをしているのでしょうか。

 

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