赤色赤光

震災の日、「慈悲」を語る

2009年1月18日

1月17日は、幼稚園の職員研修日でした。「安全・安心」は研修でも年間テーマとしていますが、この日は特別に私から仏教の「慈悲」について全職員に講話をしました。

「慈悲」とは大乗仏教でもっとも重要な根本義ですが、現実ではいささか手垢にまみれた言葉に聞こえるかもしれません。それを、私の内面に深く射抜いた経験が、阪神淡路台大震災でのボランティアでした。

被災地での悲しみの経験を語りながら、私は先生方にこう言いました。

「震災からその後の出来事は、私たちに何を教えてくれたのでしょうか。それは、人間はどうしようもなく無力で、悲しい存在であることを思い知り、けれどだ いじなことは、だからこそ人間は他者に対しやさしくなれる、愛しむことができる、ということ。今日は、そんな「慈悲」について思いを馳せる一日にしたい」

仏教園だからというわけではありませんが、幼稚園という場もまた「慈悲」を育むところでありたい、と思います。幼児はひとりで生きていくことはできませ ん。が、その弱さは、未熟であるが故の弱さでなく、人間が抱えた本性であり、だからこそ私たちは互いを支えあう共同的な存在であることを学んでいくのだと 思います。

信頼や愛情、敬意や感謝といった関係は、勝ち組負け組の世界からは生まれにくいものです。「互いを想う」「愛する」「支える」…。幼稚園は、子どもだけでなく、子どもとの関係を核として、先生や両親やあるいは地域社会全体が、人間関係の基本を回復していくつながりの場所でありたいと思います。

「あなたたちは生きているだけですばらしい」。

震災で愛児を喪った母親が、いま語り部となって現役の小学生たちに語る言葉こそ、「慈悲」そのものなのです。

(掲載の写真は、職員研修時の避難訓練の様子)

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