赤色赤光

竹刀と自己陶冶。年長男児の剣道レッスン

2017年11月24日

年長5歳児の剣道が始まっています。来月の遊戯会で壮大な演舞を披露する、そのためですが、練習風景は遊戯という甘いことばとは趣が異なります。裸の男児30名が竹刀を振り上げ、メン!と突き進んでいく姿は、勝負こそないが「武道」そのものといえます。
「もっと声を出して!」「前へ踏み込め!」
体育館一杯に、日昔先生の野太い声が響きます。それに応えようと、背筋を伸ばし、足を踏み出し、竹刀を打ち込む子どもたち。じつに勇ましいものですが、人によっては子どもには厳し過ぎるのでは、と感じる方もあるかもしれません。

剣道を体育レッスンに取り入れているねらいは二つあります。
一つは「和の身体技法」を取り入れるということ。普段ほとんど用いることのない姿勢や動作を幼児の間に体験させておく。正座と瞑想で始まり、立ち方(左座右起)、すり足、打ち込み、呼吸や声など、剣道にはさまざまな所作があり、いずれも礼法として尊ばれてきたものです。蹲踞(そんきょ)は相撲でお馴染みの坐法ですが、元来神前に敬意を表する拝礼の姿であり、そういう伝統文化について身を以て知っておいた方がいい。
もう一つは敢えて言えば、克己心であり挑戦心を育てることです。日昔先生がいう「強い心をつくること」です。テクニックや競技優先のスポーツとは異なる、もっと精神的な何ごとかです。幼稚園生活を積み重ね、年長となってサマースクールや運動会などの大舞台をこなし、自信と自覚が高まってきた今だからこそ、「求めれば」「応える」ものかもしれません。「この子たちが一回り大きくなる時は、今」と日昔先生。5歳の子どもにも、成長の実感は確かにあるのです。

武道家の内田樹さんは、「自己陶冶(自己の性質を鍛え練り上げること)の方法としての武道」について述べています。記録や勝ち負けを競うのではない。本当の「伝統文化としての武道の精神」の原初は、子どもたちの今の姿にある。そう思うのは私だけでしょうか。

 

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