赤色赤光

■ありがとう65周年。「花は咲く」の感動。

2018年11月15日

先週土曜日、パドマ幼稚園の創立65周年の記念大会がありました。式典は幼稚園の講堂を会場に、歴代PTAや旧職員をご招待して、一番近しい人たちだけの開催となりました。

冒頭、会場客席を取り囲むようにして年長児130名が登場、音楽法要の仏讃歌が始まるとその澄んだ声は講堂の隅々まで響き渡りました。続いて法輪前の祭壇に5名の子供たちによる、献灯献花献香。全員で般若心経と南無阿弥陀仏。厳かな中、65年の願いと祈りが共振して、幼稚園は大聖堂になったのです。

圧巻は年長児の歌「花は咲く」でした。特設舞台の効果もあり、子どもたちのせつせつたる情感が胸に迫り、客席では目頭を押さえる人の姿も見受けられました。

 

「花は咲く」の歌詞の中にこんな一節があります。

「誰かを励ましてる/誰かの笑顔が見える/悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く/いつか生まれる君に/花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう」

 

この歌は東日本大震災の復興ソングとして広く知られた名曲ですが、同時に震災で亡くなった方々への鎮魂の歌でもあります。

私は式辞で、65年の歴史とそれを支えてきた先代園長や多くの恩人に対し心からの謝意を伝えました。歴史は先人たちがつくってきた。この歴史のある部分を私たちは担っているに過ぎないのであって、65周年とは先に逝った人を思い、残された今の私たちのありようを問い直すことではないか。そんな話をしました。

古くから日本人は、私たちの共同体とは生きている者だけで運営されているのではなく、多くの先人たち、死者とともに成り立っていると考えてきました。であれば大事なことを決めたり判断する際に、先人たちの意向を尋ねなければならない。しかし、死者は語ることがありません。だから生者はいつも死者に問うために、数々の宗教儀礼や芸能をつくってきたといいます。法要もそうです。式典というものの原型もそうでしょう。

 

65年前、まだ戦争の傷跡生々しく、生きていくのに精一杯な時代、焼け野原となった大蓮寺の一隅に1クラスだけの、小さな幼稚園が誕生しました。荒廃した郷土に生まれた、ほとけ様の幼稚園。響き渡る子どもたちの歓声は当時の人々の心をどれだけ励ましたことでしょう。これがパドマ幼稚園の原点です。

周年記念大会とは私だけが喜びあうものではありません。過去をふりかえり、出発のその日に思いを馳せながら、それを今の時代に輝かすこと。言い換えれば、先人たちの歴史に学び直すこと。そう考えています。

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