赤色赤光

四門出遊。子どもたちに老病死を話す。

2019年9月24日

大蓮寺本堂で行っている年長の仏参で、お釈迦様の有名なお話「四門出遊」について、子どもたちに話しました。こんなお話です。

2500年前のインドに生まれたお釈迦様は、若い頃はお城に住む王子様でした。当然お城での生活は大変豪華なもので、美味しい食べ物や、きれいなアクセサリーに身を包んだ美女に囲まれて、楽しいイベントには事欠かない贅沢三昧の毎日を過ごしていました。ある時、お城の外の暮らしもどんなものか見てみたいと思った王子様は、家来を連れて、お城の東西南北4つの門から出かけることにしました。

はじめに東門から出かけると、腰は曲がり足元はおぼつかない、ヨボヨボの老人に出会いました。生まれてはじめて老人を見た王子様は、家来に「あれは何者か?」と尋ねました。家来は「あれは老人でございます。すべての人間はいずれ老いて、あのようになります」と答えました。王子様はお城に戻って考え込んでしまいました。

またある時、南門から出かけると、道端に倒れている病人で出会いました。「あれは何者か?」と尋ねると、家来は「あれは病人でございます。すべての人間はいずれ病にかかって、あのようになります」と答えました。次に西門から出かけると、今度はお葬式に遭遇しました。「あれは何者か?」と尋ねると、家来は「あれは死人でございます。すべての人間はいずれ死んで、あのようになります」と答えました。またまた、王子さまは深く考え込んでしまいます。

どんな人間も結局最後は、老い、病にかかり、死んでいくのか。だとすると、人間は何のために生まれるのか。贅沢三昧、楽しいことばかりを追いかける人生ではなく、本当の意味で幸せになるにはどうすればいいのか。王子様は思い悩み、最後に北門から出かけます。すると、出家した修行者に出会いました。大変質素な身なりでしたが、凛とした穏やかな表情をされているお姿を見て、王子様はハッと気づくのです。

「人間は皆、老い、病にかかり、死んでいくと分かっていても、あのように落ち着いて真っすぐに生きていくことのできる、確かな心を育むことこそが大事なのだ」。王子さまはそう決意して出家の道を求める修行者となり、のちに悟りをひらかれて、仏教の開祖・お釈迦様となられたのでした。

そんな有名な釈迦伝なのですが、子どもたちは正座したまま真摯に聞いてくれました。十分理解されたかどうかわかりません。幼児に「老病死」は早いのでは、というご意見もあるでしょう。しかし、本堂で聴く講話はただわかりやすいだけでない、心に染みるものでありたいと思っています。はっきりとは理解されないが、どこかで記憶されるような物語。釈迦伝とは、そういう深層にとどめられるべき本質の物語なのです。

 

追記 ちなみにこの釈迦伝は子どものみならず大人にとって重要な意味を持ちます。老病死が避け難いとわかっていながら、われわれはなぜ生きるのか。ほんとうの幸福とは何か。そういう大きな問いを放っています。

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