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子どもの身体感覚。みんなで動くからたのしい。

2019年10月8日

当然のことながら身体機能は、使わないと劣化します。子どものからだの異変、自律神経失調症や異常体温、浮き指や扁平足、あるいは間接的にはスマホやゲームの浸透など、さまざまな問題は、要するに、子どもの時に使うべきからだを十分つかっていないから。汗をかかないから、自分で体温が調整できないのです。

では、子どもは持てる身体機能をどう働かせればよいのか。子ども向け体操クラブは数多ありますが、だいじなことは個別指導ではない。個々の運動能力を高めることは、一次的な目的ではありません。あるいはお役所がいう通り、昔ながらのじゃれっこ遊びは有効ですが、これを意図的に計画化していくことも容易ではありません。だいたいじゃれ合うだけの子ども集団が見当たらないのですから。

そうなると、幼稚園で、集団で、とりわけいかに「たのしく」身体を動かすことができるか、大切な要点となります。

 

パドマ幼稚園の体育ローテーションも、跳び箱やマット、攀登棒等々体操器具はいろいろあるが、それ自体を達成する上達することが目的ではありません(体操クラブで「はい、もういっぺん」が、ここではありません)。いちばんの肝要は、「みんなで目標を共有しながら、規則正しくくりかえす」こと。みんなで同じ方向、同じ流れをつくりだすことで、子どもは自分たちどうしが共振していきます。それがたのしい。個人が銘々ではなく、仲間の大きな流れに参入することでいつの間にか、みんなでからだを動かすことが快感となる。誰から与えられたたのしさではなく、自分たちでつくりだした本当のたのしさ。けっして跳び箱の跳べる、跳べないを競うものではないのです。
さらに、次々と運動メニューが続くワクワク感や、ちょっと手を伸ばせば達成可能な目標があるとか、子どものたのしさを担保する連続性や展開性があることもローテーションの魅力といえるでしょう。

 

体育ローテーションの目的は、体操クラブのように体育技能を伸ばすことではありません。体育以前の身体感覚、「走る」「跳ぶ」「登る」あるいは「這う」「投げる」など自分に備わったさまざまなからだの感覚や機能を使うこと、活かすことなのです。それはわが家で親が熱心に関わったとしても、一人ではできない。絶対条件は、みんなとからだを動かすことがたのしい、がんばることがたのしい、ということ。集団ならではの、極上のたのしさがあります。

スマホのように、なんでも固有化、個別化が進みました。通信手段は増えたが、逆に人と人のコミュニケーションにはいろんな障がいも起きています。今、まっさらな身体に、どのように身体感覚の快を植え込むのか。幼稚園教育の魅力はここにあります。

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