赤色赤光

ジャパン・ミラクルと思いやりの心。

2020年5月28日

写真は、再開された幼稚園の入園児3歳の給食のスナップ。食作法を教わって、おそらく生まれて初めて食前の合掌を行なっています。

さて、話は変わりますが、緊急事態宣言が解除され、まだまだ安心は禁物ながら、海外メディアから日本に対する再評価の報道をよく目にします。「じつに中途半端な対策でありながら、感染死亡率が世界最低水準」に対することを、「ジャパン・ミラクル」というそうです。

日本はイタリア同様、世界トップクラスの高齢者人口を抱えているにも関わらず、都市封鎖もせず、検査数も最低水準で、医療も崩壊寸前と言われながら、欧米に比べれば桁違いの死者数に止まったとは「ほとんど奇跡」だというのです。

なぜでしょうか。ここで政策の是非は論じませんが、海外メディアは日本人の「衛生意識の高さ」や「接触しない挨拶文化」などを挙げるのですが、それと同時にしばしば「他者を思いやる気持ちが強い」(米国フォーリンポリシー)国民性を評価します。そういえば東日本大震災の直後にも、同じように日本人の協調性とか共助の精神が持ち上げられた記憶があります。

なんとなく納得しそうですが、しかし、そういった民族性とは誰でも最初から備わっているものなのでしょうか。

 

宗教学者の稲場圭信先生は、日本人が互いに思いやる心情を、「無自覚の宗教性」としてこう書いています。

『自分は生かされている、おかげ様で今がある、という感謝の念から苦難にある人へ思いを寄せるのである。神仏のご加護と皆様のおかげで生かされているという感謝の念が人を謙虚にし、自分の命と同様、他者の命も尊重させる。「無自覚の宗教性」における「つながりの感覚」「おかげ様の念」が、他者を思いやる行為の源泉ともなる』

自分の意識に顕在化されていないが、しかし、すでにそのような国民的エートスとして、潜在的に合意されている。その暗黙知は、感染症や震災といった非常事態において自然に働くある種の集合的意識だとも考えられます。「おかげさま」とは、私益追求よりも、まず相手を思いやり、社会の調和を優先する倫理的態度なのです。

だから日本人がえらい、宗教を大事に、といいたいのではありません。

そういった共通の規範意識や共助の精神、調和の心があるのだとしたら、その根底には、過去(歴史)から醸成されてきた日常の生活や文化における伝統、慣習こそ横たわっているのであって、逆に言えば、「非接触社会」「オンライン社会」においてそれをどう維持、再生していくのか、新たな課題が待ち受けているといえます。それは、園生活や親子生活においてこそいっそう重要な問いかけとなるでしょう。幼児教育の質が問われる所以なのです。

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