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モンテッソーリの映画。ローカルな幼児教育とは。

2021年2月26日

「モンテッソーリ 子どもの家」というドキュメンタリー映画を観ました。20世紀初頭に誕生し、現在140以上の国に普及するモンテッソーリ幼稚園、映画の舞台はフランス最古の学校で、2歳半から6歳まで28名子どもと教師の関わりを2年半にわたって記録した内容でした。

私が注目したのは、援助者としての先生の関わりが徹底していること。「お仕事」(活動をそのように言います)最中の子どもに寄り添って、囁くようにヒントを与えます。またハンドメイド教具の充実ぶりはよく知られていますが、中には文字や数式も出てきて「高度」です。あくまで子どもの自主性、主体性を育む支援に徹するということでしょう。文化差を差し置いても、百年続く幼児教育はさすがと感心しました。

一方パドマ幼稚園の光景は、これとは相当に異なります。子ども集団、先生と子どもの応答関係、まず身体の動きが違うと感じます。個人使用の教材もありますが、みんなで整列したり、音読したり、彼の国から見ればあり得ないものなのかもしれません。

もちろん文化や価値観の違いを論じても詮ないことです。世界にはいろいろな言葉や考え方があるように、幼児教育も多種多様です。モンテッソーリはすばらしいが、だからそのままどこでも移入できるものではなく、まずそれぞれの国の教育観や教育風土から捉え直す必要があるのだろうと思います。

では逆に、私たちが生まれ育った環境や風土、アジアや日本の教育観に適った、幼児教育のあり方とはどんなものなのでしょうか。

なかなか短い紙幅で言い尽くせないにですが、私はモンテッソーリの徹底した個人主義に対し、集団主義といいますか、仲間や先生との関係において育つ共同体の意識が一つあるのではないかと思います。集団を運営していくためにはルールが必要であり、それが協同性や規範意識の芽生えを育みます。

先生も同じ。映画の中の先生が教師然としていたのに対し、日本の幼稚園の先生は子どもに近く、一緒に遊んでくれたり、楽しんでくれたりするという親近な関係にあります。個人を教えるというより、仲間とともに生きる、ことを優先していると言えるでしょうか。

よいわるいではありません。しかし、海外先進事例を仰ぎ見るだけでなく、多様な幼児教育の姿と相対して、私たちのローカルな幼児教育のあり方を見つけ出すきっかけとしたいものだと感じました。

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