赤色赤光

踊る身体。幼稚園生活で育まれたもの。

2021年3月8日

卒業まであと1週間となりました。

こうしている時も、園舎のあちこちから子どもたちの念仏の声、歌声、歓声が聴こえてきます。例年のことではありますが、今年は未曾有のパンデミックの中で、格別によく育ってくれたと感慨深く思います。

話は変わりますが、前の京都大学総長で、霊長類学者でもある山極寿一さんが興味深いことを述べています。

「遥か原始の時代、人間は長い間せいぜい160人以下の集団で、言葉以外の、身振りや表情や声を用いたコミュニケーションを用いて暮らしていた」。

類人猿と人間は、対面するという行為と、直立二足歩行が共通した特徴です。向き合うことは同調を誘います。二足で立ち上がるので、手が自由になり、身体を使って同調しやすくなる。さらに手で体を支える必要がなくなったので、胸の圧迫が弱まり、自在に声を出せるようになった、といいます。「人間は進化の初期に、踊る身体と音楽的な声を手に入れたに違いない」のです。

幼児教育3年間をふりかえって、子どもたちに育ったものは何かと問われると、私はこの「人間としての原始のあり方」に思いを致します。世間では早期の英語教育やプログラミング教育の必要が説かれますが、そもそも人間としての基礎・基盤がないところに、新しい学力もありません。

コロナ禍となって、三密、ソーシャルディスタンス、マスクなどが新しい生活様式となりました。もちろんその重要性はわかりますが、一方で「つながらない」「集まらない」「ふれあわない」ことが強調され、人と人は対面を避け、身体の同調にも臆病になってしまうようになりました。二足歩行が停滞したとも言えるでしょう。

私たちが考えるべきは、安全対策を維持しつつ、子供にとって生涯一度の幼稚園時代に、それによって損なわれたものをどう保証していくのか、という逆説的な実践のあり方についてでした。

先週、全年長児が参加して「卒業のつどい」がありました。

幼稚園のあちこちで、同時並行して様々なプログラムを楽しんだのですが、私が注目したのは、内容の面白さ以上に、どれにも反応できる子どもたちのゆたかな身体感覚でした。ダンス、楽器ワークショップ、大蓮寺での大念珠繰りも含め、クラス集団が自ら参加して、身体ごと同調して楽しむことのできる能力についてでした。時節柄、発声は控えざるを得ませんでしたが、それでも(運動会、遊戯会とは違う意味で)見事な「踊る身体」でありました。

何ができる、何がわかるという認知能力も発達しました。自立心や忍耐力といった非認知能力も豊かに育ちました。しかし、こういう時代だから、私は、幼稚園生活を通して、自在に「踊る身体」を身につけた子どもたちにつくづく感嘆させられるのです。

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