赤い御膳が教えてくれたこと。お泊まり保育。
2025年6月17日

暑さも本格的になってきた今日この頃、園庭には子どもたちの元気な声が響いています。
少し前のことになりますが、5月30日、年長の子どもたちと一緒にお泊まり保育に出かけました。今年度からはさまざまな経緯を経て、新たに信貴山の宿坊「玉蔵院」での一泊二日となりました。
宿泊先がお寺というのは、格別の思いがあります。一般のホテルや旅館とは違い、たくさんの仏様のお姿に囲まれた空間は、独特の落ち着きと魅力があります。玉蔵院の周囲は深い緑に囲まれています。院内には多くのお坊様の姿も見られ、自由に閲覧できる本棚もありました。パドマの子どもたちにとっては、普段から見慣れた光景だったかもしれません。
私が特に感心したのは、3度の食事がすべて赤い御膳で用意されていたことでした。
銘々に配膳する食事にはそれだけ手間もかかるのですが、それ以上に「一緒に食事をする」という共同行為が、一定の規律と作法をもって営まれていることに改めて気づかされました。
現代の食卓は、楽しく和やかに囲む時間になっていますが、それと異なりここでは明確な規律と方向性が備えていました。正面の仏様に向かって一斉に並び、直線上に配置された御膳の空間は、共にいただくことが修行の一つであるという、お寺の伝統をよく表していました。御膳を用いると、自ずと正座が求められます。姿勢ひとつとっても、作法と向き合う意味を教えてくれます。
「昔がよかった」と言いたいわけではありません。ですが、宿坊に泊まったからこそ、たとえ短い時間でも、こうした場に触れることは、子どもたちにとって本物の文化体験だったのではないでしょうか。
食事のたびに、多くの職員の方々が心を込めてお世話をしてくださる姿を、子どもたちはしっかりと見ていました。また、毎回お坊さんが食前の言葉を唱えてくださるのも、お寺ならではの、心の習慣でしょう。
「一粒の米にも 蛮人の苦労を思い、一滴の水にも 天地の恵みを感謝し奉る」
赤い御膳が子どもたちに教えてくれたこと。それは、尊く、かけがえのない経験だったように思います。