なぜパドマの黒板に紙を貼り出すのか。デジタル脳クライシス。
2025年7月15日
去年から日本でもデジタル教科書の導入が本格化しました。授業の展開もスムーズになって、個人の興味も最適化しやすい。そんなAI時代の教育を連想します。
一方で、パドマ幼稚園の活動ではデジタルも用いますが。基本は紙本位です。黒板には模造紙が貼り出され、詩集も音読本も閉じた冊子、プリントももちろん紙ベースです。一部ではICT保育の実践もありますから、いずれ幼児教育の世界も、デジタル化が進むのでしょうか。
そうとも一概にいえないようです。特に教育先進国ほど反対に「紙の教科書復活」の兆しがあるとか。ご存知だったでしょうか。
かつて学力世界一と謳われたが、凋落ぶりが目立つ北欧のフィンランドでは、90年代からデジタルを導入していましたが、近年は紙の教科書復活が目立つといいます。PISAを主導するOECDではその学力低迷の理由を、「教室が規律状況の課題」にあると分析しています。要するに教室が騒がしく、先生の話が聞こえないというのです(「世界の教育はどこへ向かうか」白井俊)。これは個別を急ぎすぎたデジタル教育故の弊害なのでしょうか。
また、お隣のノーベル賞でお馴染みのスウェーデンでは、その選考機関でもあるカロリンスカ研究所が23年の声明で、「印刷された教科書や教師の専門知識を通じた知識の習得に再び重点を置くべきだ」と訴えたといいます。アジアではやはりナンバーワンの学力で知られるシンガポールも、2023年、小学生にデジタル端末を配らないことを決定したとか(以上は読売新聞3月25日参考)。かつて「紙からデジタルへ」と世界中が舵を切る中、いまは再帰現象というべきものが起きているといえるかもしれません。
その理由としては、(通信環境の問題は別にして)「集中力が落ちる」「短気になる」「あそびに夢中になる」等、様々な声がありますが、私は、日本のベテラン教員がいう「紙の本から得られる思考力の深まりは、かけがえのないものだ」がしっくり来ました。「見やすさ」と「一体性」で紙に勝るものはないと思います。
このたびのデジタル教科書導入に反対を述べたいわけではありません。ICT保育も意図はよく理解できます。しかし、その前に、私たちはまず紙の教科書なり教材をどれほど「深く」「じっくりと」扱えているのか、振り返っておく必要があるのではないでしょうか。紙は熟考であり、洞察の表徴です。教育はスピードではないのです。
最近「デジタル脳クライシス AI時代をどう生きるか」を上梓された脳科学者の酒井邦嘉先生(東京大学大学院教授)は、「手書き」の効用をこう述べています。
「(幼い子どもは)脳を創り始める時期なので、『紙に手書き』という習慣が身に付くかどうかが、その後の学習を左右する。ノートやプリントを使って手書きで問題を解くこと、画面で文字を見るより紙の本の活字を読むこと、電卓ではなく自分の頭と手で計算して解くことが基本」
パドマの子どもたちは、いまも鉛筆と紙を用います。絵日記しかり、作文しかり。昭和的、古臭いとわれようが、何十年も変わらないそのスタイルは、そこに本質的なものを宿しているから、と私は考えたいのです。
