赤色赤光

幼少教育は生涯を支える。蓮塾修了式に臨んで。

2014年3月29日

  幼少期とはその人の生涯を支えるものといわれます。パドマ幼稚園でいえば、最年少2歳児が1年、幼稚園が3年、小学部蓮塾2年、そして別科で3年生があって、最長2歳から9歳までの7年間を子どもたちはここで過ごすことになります。
上の学校になるほど、子どもたちは試験や評価に試されていきます。できる、できないがその人の値打ちを左右する。しかし幼少期はある意味、無垢であり、「生きている」ということそのものが肯定される時代でなくてはなりません。幼少教育の目的とは、何ができる、わかる前に、「他者と生きることのよろこび」(存在の資格)を自覚することにあるのです。

 今日、当園小学部蓮塾の修了式がありました。小学校はばらばらでも、同じ幼稚園を卒業した小学生どうし、勉強にスポーツに、キャンプやスキーなどともに励んできた仲間たちとの別れでした。
修了生2年生は32名、それを見送る1年生は52名、幼稚園の卒業式同様、巣立つ者たちと送る者が向き合い、歌い、互いに心を通わせる式典です。
そこで修了生代表の女子が読んだ答辞が、まことに感動的でした。
「わたしは、れんじゅくで3つのことを学びました。一つめはあきらめないことです。2つめは、じぶんのほんきを出して、しんけんにたちむかうことです。3つめは、お友だちをいっしょうけんめいおうえんすることです。
わたしは、おうえんをしてくれる先生方やおうえんをしあえるお友だちがいて、ほんとうにしあわせで、楽しい二年間のれんじゅく生活をすごすことができました」
彼女は自分の育ちよりも、「先生や友だちのたくさんのおうえん」の尊さ、ありがたさをくりかえし述べていました。それはきっと私のこれからの大きな力になるだろう……答辞はそのように結ばれています。
わずかに蓮塾2年の修了ではあるが、幼稚園時代から含めれば5年、6年というこの宝物のような時代が、人の生涯に与える影響はどこまでも無限なのだと改めて感じたのでした。

 もうひとつ、うれしい話がありました。
つい数日前のことですが、4月から大学生になるという18歳の卒業生が友だちと連れもって、幼稚園を訪れたのです。背丈もすっかり高くなり、見違えるような青年となっていました
「友だちと会ったら、幼稚園へ行ってみようかということになって。先生、なつかしいです」。
えらいものです。13年前、担任だったI先生は、顔を見るなり彼だとわかったそうです。
「先生、ぼく、幼稚園でたくさんお世話になったので、何か恩返しできることやってみたい」
それを聴いて、先生はちょっと胸が詰まった、と言いました。幼少期は、教わったことよりも、彼の存在を支えた教師や仲間こそ強烈な記憶を留めるものなのです。それが教師という仕事の責任であり、またよろこびでもある。そう思ったのでした。

 

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