赤色赤光

さようなら、卒業生。歌は、生きることの表現。

2010年3月16日

 3月12日、パドマ幼稚園の卒業式が終わりました。年長児138名が堂々と、立派に巣立っていきました。

  パドマ幼稚園の卒業式は全2時間という長いものですが、前半は数々の歌で彩られています。幼稚園で毎日のように歌った「君に会えて」「ゴールめざして」、そして、原詩で歌う「仰げば尊し」…次々と発せられる子どもたちの力強い歌声に、保護者の皆さんも胸打たれたのではないでしょうか。

話は変わりますが、作曲家の久石譲さんがある対談でこんなことを語っておられました(要約)。
「北極に住むイヌイットの人たちは、クジラを食糧にしています。海でクジラを獲るのはたいへんな協同作業なのでみんなで力を合わせないとできない。年に二度しかない捕獲のチャンスのために、彼らはみんなで声を合わせ、リズムを整える練習をする。生きるために人と声を合わせ、リズムを合わせ、呼吸を合わせる。それが歌の原型となった」(「耳で考える」)
  つまり、みなで歌うとは、生きるために交わされた、仲間どうしのかけ声だったというのです。

 幼稚園では、子どもが単独で歌うことをしません。必ずみなと合唱するのですが、その基本は、当たり前のことですが、「合わせる」ということにあります。他の人の声をよく聴いて、大勢の声の渦に同期していく。自分を相手の立場に置いて、自分と相手を同じにするのです。あなたがいて、わたしがいる。 人間は一人では生きられない。他者と協同しながら生きるという原理を、合唱の歌声から体得していきます。幼児にとって「歌う」とは、音楽であると同時に、生きることの表現なのだと思います・

 卒業生たちの進路はさまざまです。来月には、バラバラになって新たな小学校生活を始めなくてはなりません。寂しくもあるだろうし、不安もあるかもしれない。しかし、卒業式でともに歌声を響かせた仲間どうしの一体感や連帯意識は、どんな世界に行っても、大きな確信となって、彼らを足元から支え続けることでしょう。

 われはパドマの子、ほとけの子。

 一人ひとり卒業証書を受け取って、誇らしげに立ち去っていく子どもたちの背中に、仏さまの慈悲の光を見る思いでした。

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