赤色赤光

言葉があまって思いが足りない。内田樹「街場の教育論」

2008年11月27日

知的鉄人・内田樹先生の最新刊「街場の教育論」(ミシマ社)を早速読みました。中の一節、「国語教育はどうあるべきか」は目からウロコ、まさにパドマ幼稚園の言語活動の本質をズバリ言い当てていただきました。

「国語と音楽性」という異種混合のような項では、こう語ります。「どの国語もその国語固有の抑揚とリズムがある。そして、日常会話の抑揚とリズムを音楽的に整えたものがその国固有の音楽となっている。現代の国語教育では、この国語固有の抑揚とリズムの構造を取り出し、洗練させ、身体化し、さらにそれを音楽的なものに昇華してゆくというプロセスが欠落している」

音読・素読は当園の教育実践の眼目のひとつですが、そこから子どもたちが「標準的な言語感覚」を育むという点をきちんと指摘されています。

さらに、唸ってしまったのは、最初から意味なんかわからなくてよろしい、たいせつなのは言葉(入れ物)そのものであって、そのわからないという欠落感を抱えながら生きていくことで、ある日、そこにピタッと来る意味(中身)に出会うことができる、という下り。何でも意味が伴わないと承認できない近代人の「理解病」を喝破しています。そうなんです、現代の子どもは(大人もそうですけど)本物の言葉にふれる機会が絶望的なまでに奪われているのです。

「子どもの言語状況は、『言葉があまって思いが足りない』というかたちで構造化されるべきでしょう。それゆえ、美しく、響きがよく、ロジカルな『他者の言葉』に集中豪雨にさらされるという経験が国語教育の中心である」

その他、はっとする警句満載。現場の教師や親はもちろん、これからの地域問題を考える人にも必読の一冊です。

ページトップへ