赤色赤光

達成感や連帯感で、よろこびの花を咲かせよう。

2012年1月27日

よろこび、という言葉にはいくつか異なる感じを当てます。喜び、慶び、歓びとか悦びとも書きます。意味の違いは説明しませんが、つまりよろこびは一文字では言い表せない多様なよろこびがあるからでしょう。人間として、それは当然のことです。

 

では、子どもにとって、よろこびとは何でしょう。まだ生を受けて間もない彼らは、大人のようなよろこびを知らない。だから、お子様ランチ風のよろこびを与えておけばいい、と大人は安易な考え方をしてないでしょうか。周りを見渡せば、お菓子があって、おもちゃがあって、遊園地もある。買い与えれば、表面的には子どもはよろこびます。だから、それが子どものよろこびなのだと、勘違いしていないでしょうか。

いえ、現代社会では、私たち大人もよろこびの本義を忘れてしまっている。よろこびとはつまり自己の欲望の充足であり、多くは「何かを買うこと」で満たされる、消費者の快楽となってしまっています。対して市場は、さらに売らんがために、次々とよろこび(つまり欲望)を高次化させるような商品やサービスを提供しますから、私たちにとってのよろこびとは、知らず知らず誰かから授けられる「受け身」なものとなってしまっているのです。

秋田光茂学園長が書かれた著書「実践のための総合幼児教育」の中に、子どものよろこびについてこのような記述があります。

~(おもちゃあそびのような)単純に楽しいと感じられることばかりではなく、克服していくには少しの努力を必要とする課題もある。一つひとつの達成感のよろこびです。仲間が集まれば、連帯も深まるが葛藤もある。これもまた、克服していく過程には、達成のよろこびがあります。すなわち、けっして受け身ではない、自らが選んだ環境を経験に結び付けていく、その過程に、子どもの本来のよろこびが存在するのだと、私は考えています。~

いま一年の集大成となった3学期、どの学年、どのクラスにも、子どもたちの声、動き、表情のいきいきとした活力があふれています。これは子どもの内面のよろこびが表出しているわけで、その基盤にあるものこそ、日々の園生活での達成感や連帯感だと確信できます。毎日毎日、仲間とともにくりかえし体得してきたもの。誰かに教えられたのではなく、ともに自ら育ったその充実ぶりが、この時期になって見事なよろこびの花を咲かせるのです。

もちろん、幼稚園だけではなく、ご家族の理解と応援があってこそ。そのよろこびとは、またご両親に対する感謝のメッセージでもあるのだと思います。

いよいよ明後日は、音楽リズム保育発表会。大きな舞台いっぱいに、1年間培ったよろこびのメロディーを、全身で奏でてくれることでしょう。

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