赤色赤光

好きこそものの上手なれ。スポーツと勉強。

2012年2月14日

 テニスプレイヤーの錦織圭は、テニスの名家に生まれたわけではありません。父親は島根県の森林組合の技師で、母親は地元のピアノ教師です。圭は、何でも興味を示す子どもだったので、父親は何でも好きなものを与えたといいます。水泳、野球、サッカーも、英会話、ピアノも。中でもずば抜けた才能を示したのは、テニス。父親がハワイ土産に買って帰ったラケットで、5歳からテニスを始めました。「子どもが好きなら何でもやらせてみよう」という錦織家の方針でした。

 

 一流のスポーツ選手は、とにかく「好き」が基盤にあります。サッカーの香川選手も、ゴルフの石川選手も、スポーツとは違いますが、先日ローザンヌバレエコンクールで優勝した高校生菅井円加さんも、幼少期からまったく練習を苦にしなかった共通項があります。もちろん天分もありましょうが、それ以上に「好き」という才能は最高のモチベーションなのです。
私たち「巨人の星」世代には、スポ根がはやり、刻苦勉励が当たり前でした。栄冠を勝ち取るには、血が滲むまで努力をしなくては、と固く信じていました。今ではそんなことは、時代錯誤のようなのです。

 以前も書きましたが、脳科学者の茂木健一郎さんが、日本の子どもがなぜ勉強が嫌いなのか、という問いに、「鳥かごの中の教育だから」と答えていたのが印象的でした。日本の教育はひたすら個人の学力を伸ばすことだけに終始していて、本当の勉強の面白さである、人と出会ったり、つながったり、発見や感動がない。大事な能力は、成績とか受験とかの可否ではなく、それを通してソーシャル・センシビリティ(社会的感性)が高まることではないか、という趣旨のコメントでした。同感です。

  勉強とスポーツを同列に語ることはできないかもしれませんが、幼少の時、両者に大きな区別はありません。生まれた最初から「好き」のカードを選んだのではなく、「好き」は生活のどこかで偶然に「発見」されます。そして、そこを端緒に、本当に「好きになる」ための生活が続けられ、やがて自分らしさとなって花開いていくのです。錦織も香川も、菅井も、「好きになる」才能に恵まれていたのでしょう。

 「好きになる」には、毎日、テニスの練習に明け暮れたように、まず時間と経験が必要です。そばにはよき仲間と先生。それから、嫌いになることを避けるためのはたらきかけも大事でしょう。テクニックを習得するよりも、とことん「好きになる」ことの方が先決なのです。スポーツだけではありません。人が好き、歌が好き、がんばること、努力することも好き…そういう人間の心情や意欲の芽生えもまた、「好き」が育んでいくのです。
 「好きこそものの上手なれ」。幼稚園の毎日の生活とまったく同じ原理が、ここにあります。

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