赤色赤光

この親でよかった。最後の保育参観。

2012年3月8日

 幼稚園の卒業式まであと1週間となりました。先日は今年度最後の保育参観、大勢のお保護者のみなさんにお見えいただきました。参観後、卒業生のご両親が集まられた最後の、懇談会で私はこんな風に申し上げます。

 「幼稚園生活で確かに子どもたちは育ってくれました。でも、もうひとつ育ったのはお父さんお母さんが『「親として』」育ったことではないのでしょうか。子どもは確かに背丈の伸びるし、言うこともしっかりしてくる。でも子どもだけが単独に育っているのではなく、両親とともに紡いできた関係そのものが成熟してきたのであって、その意味では子育てというものは相互的であり、育ち合うものだと思うのです」
「3年間、幼稚園をよく信頼していただいて、よく『育って』くださいました。みなさんに心から感謝と敬意を表したいと思います」

さらに言葉を、こう続けます。

 「お父さん、お母さん。子どもたちが卒業すると、私たちはもう何もできなくなる。まだまだやらなくてはならないことはあるけれど、幼稚園とはもうこれでお別れです。でも親は親を卒業することはでない。社会的に「子離れ」はあっても、親子の絆は生涯切れることはない。まずは、新たな小学校生活、よろしくお願いします」

  「もう最後だから、正直に申し上げます。お父さん、お母さん、いま、子どもたちは生きることがたいへんなのです。われわれの時代と違って、社会や環境が目まぐるしく変わって子どもらしく生きることが難しいのかもしれない。でも、どんなにつらくとも、苦しくとも、わが子を支えるのは親のあなたの務めでではないですか」

 そして、尊敬する児童文学評論家の清水真砂子さんの言葉を紹介して終わります。こんな言葉です。

 「毎日帰りたくなるような家庭をつくるのは至難の業。でも、子どもはそんあにヤワではない。週に30分でもよい。この親の子どもでよかった、と思えるような瞬間があればよい」と。
「この親の子どもでよかった思えるような瞬間」とはどんな時間を言うのでしょうか。

 それはけっして子どもを甘やかすことではない。もっと親の生き方を問うものでしょう。
そして、絶えず子どもの育ちに寄り添うように、親として成熟する「育ちあい」の時間の確かさを言うのだと思います。

 

ページトップへ