赤色赤光

よく、そだったよ。3年間、成長の喜び。

2012年3月19日

 幼稚園の卒業文集の、ある女児の文章に目がとまりました。仮にKちゃんとしておきます。

 3年前、Kちゃんが入園した当時のことを私はよく憶えています。少し神経質で、虚弱な感じのする女の子でした。むろんどの入園児も同じような感覚でしょうが、初めて見る幼稚園生活は彼女には新鮮というより、むしろ抵抗感が上回ったのではなかったでしょうか。玄関口で泣き伏していたKちゃんを抱っこして、よく保育室まで連れていきました。

 うちの幼稚園では、毎朝、体育ローテーションという全園児参加の運動メニューがあるのですが、それまで大勢で走るという経験のない子どもには、むしろ恐怖感が募る体験であったと思います。Kちゃんも、ずっと「自主見学組」で、毎日廊下に座りこんだままでした。4月が過ぎて、5月が過ぎて、おおよその年少児が一斉に走り出したのに、Kちゃんは頑として参加しようとはしませんでした。友だちが誘っても、先生が声をかけても、嫌、私、走らない、と表情を強張らせたまま拒み続けました。

6月に入って間もないある朝、子どもが「園長先生、Kちゃん、走ってる!」と教えてくれました。驚いて園庭を見ると、走っているのは彼女ではなく、担任のT先生でした。T先生がKちゃんをおぶって、走っているのでした。走ることは楽しい、みんなと走ることはもっと楽しい。T先生は大粒の汗をかきながら、Kちゃんに走るよろこびを背中ごしに伝えていたのでした。その背にしがみつくように、でも、安心して任せきったようなKちゃんの表情を、私は遠巻きに見つめていました。

 そのKちゃんが、3年経って、卒業文集に書いた作文です。

 「年少のとき ないてばかりだったり、おもらししたり、けがしてかえってきたりしていました。さいしょは、プールやウイル先生とかがこわかったよ。よく、そだったよ(中略)ほんとうにパドマようちえんに行けてよかった。もうすぐパドマようちえん、そつぎょうだ。そつぎょうすることはさみしいけれど、わたしはうれしいです。小学校に行きたいからです。わたしはそつぎょうするけど、おとなになったらぜったいパドマようちえんにくるからね」

去年、東日本大震災があって、誰もが自然の脅威におののいたのと同時に、皆で協力して連帯して生きることを確かめあいました。絆とかつながりという言葉がしきりに言われるようになりました。

 しかし、私たちは元からつながって生きているのであり、最初から切れている人などいない。あるとすれば、つながりを置き忘れてきた私たちの日々の暮らしや生き方に原因があったのではないでしょうか。

 人間は小さい。Kちゃんのように、ひとりでは何もできない。ひとりでは孤独で不安で押しつぶされそうになる。でも、KちゃんがT先生の背中で、信頼や勇気に目覚めたように、愛する人と力を合わせ、心を合わせれば、乗り切ることができる。ひとりではできないが、みんなとならできる。みんなとできることはやがてひとりでもできるようになる。

 そこに幼児教育のプリンシパル(原理原則)がある、と私はKちゃんから教えてもらったのです。

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