赤色赤光

年長児のご両親へ。「同行二人」で歩いていこう。

2009年6月4日

6月2日、年長のクラス会が終了、これで14クラスすべてを無事終えることができました。親御さんのわが子に対する熱い思いが体温のように伝わる、いい機会をいただきました。年長さんクラス会で、私はおおよそ以下のようなお話をしました。

…スポーツの試合では、必ずベンチを暖めている控えの選手がいます。活躍するチャンスのない彼らの心中は複雑なものがあるかと想像できますが、しかしチームがゲームに勝つと、例外なくわがことのように欣喜雀躍する。考えてみれば不思議なものです。自分ではない、他人の活躍を賞賛できる、チームの勝利を、自分のよろこびとして受容できる、というのは、人間だけに備わった尊い共感能力だと思います。

年長児が年少、年中から飛躍するのは、「みんなを愛する力」がはぐくまれる学齢であるということです。人間はみんなのために自分が持てるものを差し出すことができます。時には自分を抑えて、あるいは我慢して、誰かに譲る、任せる。個々の交渉というより、それがクラス全体のためなら苦ではない。我慢は喜びとセットであり、自分の成功よりみんなの成功をよろこぶことができる。私は、それが集団生活のよろこびであり、本当の思いやりの心ではないかと思います。

ラグビーというスポーツは「one for all..all for one」を合言葉にしています。ひとりはみんなのために みんなはひとりのために。特定の誰かのためではなく、自分の帰属する集団に対する愛のようなものです。これが人間の共同体(社会)に対する信頼感のベースになっていきます。

四国のお遍路さんは、お大師さんとともに歩くことを「同行二人」といいます。目には見えなくても、そう願う人には必ず寄り添ってくださる大きな御力(みちから)。人生の修行には必ず大きな支えが必要であって、いまわが子にとって、クラスの集団こそ同行二人のたいせつな相方であるのでしょう。そう。親と子も、互いを支え、互いを敬う「同行二人」であってほしい、と私は思います。

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