赤色赤光

年中児のご両親へ。利他心の贈り物。

2009年5月30日

年中さんのクラス会が終わりました。年少さんと違って、1年の幼稚園生活を経験されたお母さんたちの幅のようなものが感じられました。幼稚園への期待も伝わってきて、緊張しました。私は園長として、おおよそ以下のようなコメントを申し上げました。

…年中児になると、園のいろいろな場面で進んでお手伝いをしようとする顕著な傾向が現れます。幼稚園やご家庭で先生の真似を始めるのも、先生という役職を介して皆の世話をしようという間接的表現です。これは「援助」や「支援」という人間関係の原理の目覚めともいえるのですが、なぜ頼まれたわけでも、指示されたわけでもないのに、子どもたちは自らお手伝いをするのか、そのことに注目してほしいと思います。

理由はいたって簡明です。感謝されるからです。「ありがとう、助かったわ」「そんなこともできるの、すごい」等々、無償の行為には最大限の感謝や賞賛がセットになっているからです。もちろんその感謝とは手伝ってくれた結果や成果に対する評価とは違います。誰かために役立ちたいと思う心、その良心や意欲に対する感謝なのです。感謝されるとうれしい。うれしいからまたお手伝いをする。その繰り返しが、子どもの中に他者を思う「利他心」の芽を育むのです。

こうしてヒトは人間になっていきますが、集団も同じように変化していきます。子ども-大人という関係だけでなく、やがてクラスのお友だちどうしが「助け」「助けられる」関係を生んでいく。クラスは単なる寄り合いではありません。そういう相互援助の関係が縦横に結ばれながら、「みんなで生きる」という共同体へと進化していきます。年中は、人間は共同体の子どもであるための、その第一歩の年齢なのです。

ご両親にお願いしたいこと。お手伝いを例にお話ししましたが、親子の関係でいえば、肝心なことは、お手伝いのあるなしではないはずです。子どもという存在はそれだけで感謝の対象です。はじめて子どもを授かった時、誰もが天に感謝するように、いま目の前で子どもが笑い、泣き、そうして人間として健やかに成長してくださっていることに、大人は絶えず感謝を忘れてはならないと思います。絶対の感謝とは、何かの見返りであってはならないと思います。

生きていてくれてありがとう。そう思えば、子どもの笑顔は私たちにとって最高の利他の贈り物なのです。

 

利他心…仏教語。 人々に功徳・利益(りやく)を施して救済すること。とくに阿弥陀仏の救いの働きをいう。それが転じて、他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと。その行いは「利他行」という生活修行でもある。

 

ページトップへ