赤色赤光

入園児のご両親へ。愛は独占できない。

2009年5月27日

 最年少と年少のクラス会が終わりました。各クラス毎にお母さん方が集まって、それに担任と主管、私が加わって子どもたちについて情報交流を行いました。
短い時間でしたが、私はおおよそつぎのような話しをしました。

 … 入園して2ヶ月足らず、最初は家庭に対する未練いっぱいだった子どもたちが、毎日の登園が続いて〈習慣〉になり、やがて〈関心〉が芽生えてきています。水槽の亀、お部屋のプレート、靴箱の靴の色…さっきまで泣いていた子どもたちの、世界に対する並々ならぬ好奇心ぶりはどうでしょう!そんな日常の小さな発見が幼稚園生活の醍醐味ともいえます。

 幼稚園の玄関で大泣きすることも、入園児に備わった「才能」です。それが単なるわがままに終わらない、子どもの自己発現の術となるには、二つの大きな愛による支えが必要です。家庭の愛と幼稚園の愛です。家庭の愛は、すべてを受け入れる、全面的な受容と承認です(もちろん間違ったことはきとんと叱る)。愛は1/1の独占でいいのです。でも幼稚園の愛は、独占できない。先生にはひとりひとりを見つめながら、愛をクラスの友だちみなに等しく分かち合わなくてはならない。24人の仲間がいれば、1/24の愛が24通り重なることで、大きな「慈悲」のような愛が生まれます。自分はいつでも誰からでも確かに愛される存在なのだと、子どもたちがそのことに確信が持てればこそ、幼児教育は人間の信頼の基盤をつくっていくのだと思います。

 家庭のことをホームといいますが、ホームは出かける場所があってこそホームとなります(野球のホームベースを思い出してください)。幼稚園という初めて出かける外(アウェイ)ができることで、家庭は子どもにとって本当のホームになります。つまり、「還る家」になるということです。還る家には、二つのだいじな役目があります。「いってらっしゃい、がんばって」そして「お帰りなさい、愛している」の二つです。この二つの支えがあって、初めて子どもたちは外に出かけることを恐れない、社会に対し信頼感を育むことができるのだと思います。幼稚園の年少の時代、私たちはそういう信頼の芽を育てています…

 あまり上手にお話しできませんでしたが、どのクラスも熱心に聞いていただきました。お母さんたちのゆたかな受容のこころにふれたような気がします。そして、お話をこう締め括りました。

 「仏教ではご縁をたいせつに考えます。パドマ幼稚園にご入園いただいたことも、このクラスとなったのもすべて尊いご縁です。その大きなめぐり合わせをどうかたいせつにしていきましょう。みんなで力を合わせて、この出会いを深めていきましょう」
幼稚園はみんなのもの。みんなが育つところ。私の切なる願いです。

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