赤色赤光

板書された「集中」。言葉の体温を伝える。

2020年1月28日

保育室を巡っていくと、黒板の片隅に、白いチョークで短いことばが書かれていることがあります。担任の文字で「集中」とか「信頼」「自立心」とか「悪い事をしない、良い事をしよう」等々、幼児には理解できないような一句が板書されています。

「もうすぐ音楽発表会、クラスのみんなが気持ちを込めて歌うとき、今の状態を<集中>っていうんだよ、と話しました」

なぜ「集中」なのかと尋ねると、ある年少の担任は言いました。そうです。幼児は、書物で言葉に出会うのではなく、園生活の中で大事な言葉を「体験」するのです。

 

ITやテクノロジーが進化して、私たちは昔よりはるかにたくさんの環境言語に囲まれて暮らしています。確かに情報や知識は圧倒的に多くなったが、果たしてインターネット上に人生の本質を語る言葉がどれほどあるのでしょうか。「集中」だけでなく、「信頼」「努力」「勇気」などなど、生きる価値に巡り合わないまま、児童の時からスマホに釘付けになっているのが現実ではないでしょうか。

かつて幼児期には、伝承言語が多くを占めました。家族や地域が子どもに語りかける言語、それは知識や情報よりも大切な、まさに人としての道理や倫理を示す「こころの言葉」でした。それらは、わざわざ教えるというより、生活の中で大人から子どもへ無意識に伝承されてきた本当の「母語」というべきものだったのでしょう。その意味で、生活と言葉は混然となったものだったのです(その文化様式が伝統的な作法とか習わしとなって伝えられました)。

 

ビッグデータに支配される現代、伝承言語は衰退の一途をたどっています。大人は幼児に伝えるべき言葉を見失い、俯いたままスマホに囚われています。もちろん絵本も大事、道徳の授業も大事です。しかし何より子どもが渇望しているのは、意味の解釈以前に、数々の生活体験から立ち上がる言葉の熱い「体温」なのでしょう。たった一句の板書から、汲み取るものは大きいと思います。

 

 

 

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