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具のないおにぎり2個。25年目の震災記念日

2020年1月17日

数年前になりますが、1月のある日、神戸市内のある幼稚園で講演を務めた時のことです。熱心な保護者200人ほどが聞いてくださいました。私の話が終わって、閉会の挨拶にベテランの園長先生から保護者に語りかけられました。

「もうすぐ震災の日を迎えます。例年同様、当日のお弁当はおにぎり2個にしてください。具は入れない。これは、あの日、避難所でいちばん最初にいただいた配給のおにぎりを忘れないため、ずっと当園で続けていることです。そして、幼い子どもたちに震災の体験、いのちの大切さを伝えてあげてほしいと思います」

今日、あの日から25年目の1.17を迎えます。幸いパドマ幼稚園では大きな被害はありませんでしたが、有縁の幼稚園・保育園、子ども達に大きな犠牲がありました。とりわけ子どもの死は、親として受け入れ難く、悔やんでも悔やみきれません。

兵庫県内で亡くなった子どもは514名。小学生のわが子を喪った父親がこう言ったそうです。

「今も小さな子が登校するのを見るのがつらくて、その時間を避けて通勤しています。生きていればもう30半ば。孫がいてもおかしくないが、自分の中では、ずっと子どものままです」

悲痛な子どもの死と向き合うにはどうすればいいのか、小学校や幼稚園関係者、宗教者が集まって議論した結果は、「たくさんの子が亡くなった事実を明らかにすること」だったといいます。震災死した子どもをすべて記録する。死んだ子の名前を、新聞をめくり、学校園に訊ねて、一人一人集めていったといいます。冷厳な事実を受け入れていくための、「喪の作業」だったのでしょう。

あれから、日本中で地震が続発して、この国は「防災大国」と言われるようになりました。さまざまな基盤整備やグリーフケアまで「対策」は整えられつつありますが、一番大事なことは「かけがえのないいのちを大切にする」、それを自分の体験として一人ひとりがどうわが子へ語り継ぐか、でしょう。

被災体験があるない、は関係ありません。いや自然災害だけでなく、少し耳を傾ければ、私たちの周辺には無辜の人からいのちの叫びが聞こえてきます。それに無関心であっていいのでしょうか。

自助、公助、共助ともいわれますが、そういう思い合い、助け合い、支え合いの時代を作っていくために何ができるのか、今日一日思いを馳せたいと思います。おにぎり2個にも、その思いの具がたくさん詰まっていると思います。

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