赤色赤光

さようなら2019年、一年を、祈りで締めくくろう。

2019年12月28日

11月、初めて広島の平和記念資料館を訪れました。去年訪問したドイツのアウシュビッツ強制収容所でも感じたのですが、単なる展示を超えた歴史の記憶、深い「祈り」を感じました。

人は、百貨店やテーマパークでは祈りません。祈りにはそれにふさわしい場所とか時間、関係が前提なのですが、毎年やってくる年末は不思議にそういう祈りの雰囲気を醸し出します。後戻りできない近過去に対する悔恨ともいえるし、懺悔かもしれない。いずれにしても、年末人はいつもより少しだけ謙虚になります。

今年、いろいろな祈りがありました。たいせつな人を亡くし、霊前に祈りを捧げた人。災害や事故で失われた命を祈った人。即位された天皇陛下の祈り。ラグビーW杯では誰もが日本チームの勝利を祈りました。そんな遠い話を持ち出さなくとも、親は我が子の成長を祈り、今日の無事を感謝したのではないでしょうか。祈りは鎮魂であり、祈願であり、また感謝でもあるのです。

世はAI時代初頭を迎えています。仕事も学習も、機械に代替されていくほど、私たち人間にだけ残されたものは何か、意識しないわけにはいきません。むろんロボットは祈りません。逆説的ですが、祈りが不確定で実証できない「非科学的」行為だから、そこに稀なる人間性を見出すことができると言えるのではないでしょうか。

祈りにデータは不要です。言葉さえいらないのかもしれない。子どもたちの笑顔と、いつもそばに寄り添う教員たちの姿。お念仏があり、仏賛歌があり、みほとけの姿があります。お寺の幼稚園はそういう祈りを湛えた場所でありたいと思います。

今年、あなたは誰に、何に祈りましたか。さようなら 2019年、ありがとうございました。南無阿弥陀仏。

 

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