赤色赤光

仏教トークの会。無為のまま過ごせる場所と時間を。

2024年12月9日

この5月から應典院で仏教トークの会を始めました。ありがたいことに、毎回30名前後のお父さんお母さんが集まってくれました。11月の4回目が最終回でした。

お寺が運営する幼稚園だから、仏教を教えているとは限りません。一応正門には釈迦像なり宗祖像が立っているが、特に作法を求めない園もあると聞きます。

子どもさえそうなら、保護者はもっと関心に程度差があることでしょう。お寺の幼稚園という認識はあるがそれ以上アピールもないし、親もまた踏み込まない。そう思うと、こういう場は希少なのかもしれません。私ごときのトークなので内容は知れているのですが、仏教プラス幼児教育について1時間の話を聴くには、かなり忍耐を要することでしょう。みな仕事の時間を削って、足を運んでくれています。決して「得する」中身ではないはず。閉会後のアンケートにこういう回答がありました。

「普段子育てや仕事に忙しくしていると、ここで、ゆっくりお話を聞く経験自体が贅沢で、貴重なものだと思いました。一緒に参加した皆さんも清々しい表情をされていて、いるだけで心が洗われる思いがしました」

ふと思うのですが、これは話の内容よりも、「集い」そのものに価値があるのではないでしょうか。仕事に暮らしに懸命に生きる人たちが、一度時間を止めて、自分の忙しさや慌ただしさを止めてみる。自分を見つめ直すとか、自分を思い起こすための場と仲間を探しにきたのではないか。たまたま私の話という体裁が整っただけで、目的は自己の回復や、生き方の調節であったのかと思います。

「私たち聞き手にとっても、先生と、幼稚園のことを心から慕っている保護者のみなさんと場を共有したからこそよい思索の場になったのではないかと思ったところです。縁起だなぁと思います。精神的な拠りどころとしてお寺の機能いたく実感いたしました」教育の場所だからといって、何も教えるばかりではない。都市の中で無為のままに過ごせる場所こそ、大切なのだと思います。

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