ダンゴムシよ、ありがとう。子どもとアーティストの共同制作。
2024年12月2日

先々週のことですが、大蓮寺墓地の角にある楠の巨木の元に、子どもたち代表とアーティストの手によってダンゴムシを埋葬しました。春から始まった、アートプロジェクトの小さな節目を迎えることができました。
ことの起こりは、年長の探究活動「こども会議」で、子どもからでた「ダンゴムシの家をつくろう」というアイデアからでした。毎日、土中を這い回るダンゴムシのための家を手作りすることになったのですが、調べてみると(子どもが主体的に)、彼らの家には、朽木や枯れ葉、石など日陰が必要で、適切な水分も不可欠であることなどがわかりました。そんな試行錯誤が始まったのですが、その最中に幼稚園にやってきたのがアーティストの水田雅也さんでした。すっかり意気投合して(?)子どもたちと共同で家を作ることになったのでした。
幼稚園のアート祭に併催する、應典院の「極楽あそび芸術祭」では、水田さんの作品づくりが始まりました。何度か幼稚園を訪れ、ワークショップを開き、水田さんと園児の交流が始まり、そして開催日前夜深夜までかかって、写真のような作品が完成したのでした。天吊りの巨大なスクリーンは、家の屋根越しに子どもによって覗き込まれているダンゴムシの視界を表しています。
芸術祭の期間中、たくさんのダンゴムシが亡くなりました。水田さんが住まいの京都からも「移住」させてきたのですが、子どもは優しさ以上に残酷です。圧倒的弱者であるダンゴムシを時にゲームのようにもてあそぶ。動かなくなったダンゴムシに関心は示さない。家をつくろうといいながら、これは強制収容所みたいではないか、という疑問も湧きます。この作品はその保護と放棄、慈愛と冷淡、生育と収奪、という真反対な概念を提示しようとしたのでしょうか。それはそのまま、子どもという人の不可解さにもつながっていきます。もっといえば、その訳のわからなさを敢えて発達の枠に収めようとする、私たち幼児教育の役割をも揺さぶっているのかもしれません。
芸術祭が終わって一月以上が経ちましたが、念願だった、亡くなったダンゴムシの供養会ができました。園児代表がお焼香をして、同称十念を唱えました。いのちとはなんだろう。どこへいくのだろう。子どもたちとは、別れ際、水田さんと親しげに再会を誓っているのでした。