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■映画「小学校」。フィンランドで評価された日本の集団教育。

2025年1月6日

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
新年初ブログなので、年末に観た映画のお話から始めます。「小学校 それは小さな社会」というドキュメンタリーです。

昨今公立学校に関して批判的な報道ばかりで、一向によろこびが伝わってきません。本来子どもがともに育っていくことやそこに関わる先生としてのよろこびは、かけがえのないものと思うのですが、テレビや新聞ではいじめや暴行、教員のストレス、ブラック職場等々、ネガティブな情報で溢れかえっている感があります(そのことと教員志望の若者が減少していることは無関係ではないでしょう)。
この映画は、東京のありふれた小学校の1年間を追いかけて、当世珍しいことかもしれませんが、そのよろこびと背景にあるものを描き出しています。

詳細はぜひ本編を見てほしいのですが、海外での評価も高く、先に公開された教育大国フィンランドでも大ヒットしたとか。掃除、給食、朝礼、クラス会など日本特有の特活(特別活動)ですし、運動会、音楽会、儀式めいた卒業式、入学式、いずれも外国の学校関係者には目を引く内容だったのではないでしょうか。
山崎エマ監督のインタビューにこうあります。

「(フィンランドでは)日本とは真逆の自由や個性を強調するなか、気づけばコミュニティの中で生きていく感覚を持ってる子どもたちが減っていて、みんな自己中心的にしか考えられないそうなんです。 だから、日本の小学校で見えてくる思いやりや協力、助け合いなど、周りがあって自分があるっていう感覚をヒントにしたい」声があったと。(Yahoo!ニュース)フィンランドが教育のレベルを大きく下げている現状を見ても興味深い現象です。
この映画の特異は、今や希少と言っていいのですが、この映画は日本の集団教育の伝統(特に低学年に注目して)を「肯定的」にとらえている点です。集団一斉がいいといっているのではありません。集団生活の中から、他者への思いやりや協調性が育まれ、それが自律心や忍耐力を産んでいるという日本の人格教育への着目です。
山崎エマ監督は、大阪の公立小学校を卒業、その後インターナショナルスクールを経て、19歳でニューヨーク大学へ進んだ国際派です。海外で仕事をしていると、周りから「あなたは責任感が強い」「リーダーシップがある」と評価を受けることが多かったといいます。その原点はどこにあったのか、インタビューでこう答えています。
「自分の強さの基盤は小学校時代の学びがあったからだと感じています。自分の小学校時代を振り返ると、もちろん嫌なこともありましたが、大阪の公立小学校に通っていたお陰で今の自分があるな、と。私は日本の小学校が素晴らしいと思っています」
「日本では“個”でなく“集団“であることがネガティブワードになりつつあり、集団に対する評価は低いですが、みんなで一緒にやっていくことは地球上で大切だと、コロナ禍で浮き彫りになったと思います。 言い換えれば”集団”でなくて”コミュニティ”だし、コミュニティづくりの教科書だとも(映画鑑賞した人から)言ってもらえました」(Lee)
もちろん、集団を丸ごと礼賛しているわけでもありません。本編の中で大学教授が「学校(集団)教育は諸刃の剣」と指摘する部分もあり、個別の指導に葛藤する先生の姿も描かれます。おそらく監督が通った小学校の時代より、はるかに「個別志向」が進む現在の姿に、「個を大切にする(集団との)バランスに進化を感じ」(監督)たのでしょう。そこは今日的に重要な視点かと思います。

この映画をみて、「いじめが描かれていない」「先生が働き詰めでブラックだ」と批判するのはナンセンスです。映画には作家の生き方が反映されているのであって、ニュースとは異質のものです。それより、数十年前に受けた小学校の記憶を拠り所として、1年間150日700時間の撮影(監督が過ごした時間は4000時間!)、学校に通い続けた姿勢に敬意をおぼえるのです。その信頼関係があるから、あの子どもや先生たちの心のつぶやきが撮れているのかと思います(1年生の子どもとは親しくなるため、保育園時代から交流を続けたそうです)。

日本の学校教育の強みとはなんでしょうか。子どもや親、先生のよろこびとはなんでしょうか。集団でともに生きることを(個の主体性も併せて)私たちはどうとらえていけばいいのでしょうか。幼小接続の重要性がいわれる中、幼稚園の教育にも引き寄せてしっかり考えていきたいと感じたのでした。

 

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