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震災30年。具のないおにぎり、で記憶を紡ぐ・

2025年1月17日

阪神淡路大震災から今日で30年が経ちました。いろいろな追悼行事が各地で開催されています。「あの日を忘れてはならない」のです。

こんな話があります。何年か前の冬、私が神戸市内の幼稚園で講演をした折のことです。講演終了後、園長先生が会場に集まった保護者に、翌日のお弁当の連絡をされました。「明日は1月17日です。例年の通り、お弁当は、おにぎり2個、のりを巻かず、具も入れない、ご飯だけのものでお願いします。それ以外は持たせないようにしてください」
あの日、神戸市内にあったこの園も甚大な被害を被りました。避難所生活を余儀なくされた園児家族や教職員も少なくなかったそうです。不安と空腹に震えていた避難所の人たちにいちばん最初に配給されたのが、素のおにぎり2個だったといいます。具の入っていない、海苔もまいていない、おにぎり。すでに保護者の中には、震災を体験していない若い人も多いと聞きました。その時の救いと感謝を、親にも、子どもたちにも伝えたいと、20数年間、毎年「おにぎりの日」を続けておられるとのことでした。

もちろん防災にあたってどう危険を回避するのか、を学ぶことはたいせつなことです。今や防災バッグは必需品ですし、様々な減災の知恵も周知されるようになりました。しかし、どうしても避けられない事態となった時、私たちにいちばん大切なものは何でしょうか。
ひとりだけが、一家族だけが「被災」するのではありません。震災は惨いことですが、あたり一帯を巻き込み、馴染みのある地域全体を飲み込んでしまいます。まず自分が助かる「自助」がもっとも重要ですが、自身の無事を確保できれば、状況に応じてまず家族を、地域の人々を救援する、そういう「共助」が大切です。
いえ、人命救助第一といいたいのではありません。そんな大それたことはできなくても、お隣のことを気づかい、思いを寄せたり、言葉を届けることはできるはず。食糧や物資だけでなく、心の助け合いは家族や地域だからできることです。それは緊急時だけの関係ではない、普段からの地域のつながりや他者に対する関心や気の配り合いが基礎をなすのではないでしょうか。
心のこもったおにぎりの暖かさを、人は一生忘れることはないと思います。

それともう一つ。過酷な避難所生活の中で、人々が唯一希望を見いだしたのは、子どもたちの屈託のない笑顔でした。子どもがいるだけで、明日を信じることができる。この子たちのために、前を向いて生きていきたい。子どもから何かの言葉をかけてもらうわけではないが、その存在だけで、私たちは十分「共助」されている。それはけっして震災という特別な状況だからのことではない。そう感じるのです。

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