赤色赤光

食卓の仕切り皿。食事は、向かいあい、分かちあう。

2016年5月29日

先日、日本の食卓の変遷を研究する岩村暢子さんの寄稿が新聞にありました。「個食時代の食卓」という記事には、最近子ども用の仕切り皿(プレート)が家庭に浸透しており、30代から40代の親の半分以上がこれを常用していると述べられていました。
まだ幼い子どもであればわかるのですが、高校生くらいの子どもにも、あるいは両親ともに仕切り皿を使う家族も出てきており、明らかに食卓の光景に変化が見られるというのです。

「メーカーは「四つ仕切りより、三つ仕切りが好調」と言う。確かに仕切り皿を使う食事は品数も減り、料理が簡単化する傾向にある。さらに、家族とテーブルを囲んでも自分用の皿の上にしか関心を示さない人や、持ち上げにくいため皿を置いたままスプーンやフォークで食べる人も出てきている。仕切り皿は、食べる人の心や食事の作法、はし使いにまで影響を与え始めているようだ」(朝日新聞 0423)

確かに個食化時代にはマッチしているし、家事の軽減になるのかもしれない。ひとりぼっちの「孤食」とは違って、家族どうしパパはブルー、ぼくはイエロー、というふうに「マイお皿」を選ぶ楽しさもあるといいます。しかし、私のような昭和世代にはやはり違和感を感じてしまいます。

霊長類の中でもすすんで「共食」するのは人間だけです。サルは絶対向かい合って食べることをしないし、エサは独占する。人間がそれを敢えて行うのは、同じ物をいっしょに食べることによって、ともに生きようとする実感がわいてくるからだといいます(山極寿一)。それが信頼する気持ち、共に歩もうとする気持ちを生み出すのでしょう。
家族の食卓では、食べる行為以外に、調理や配膳を手伝う、異なる器を使い分ける、また同じ大皿を分け合う等々、食を介在させたいろいろな関係が生まれます。オーバーな言い方かもしれませんが、それこそ生存のための社会関係を家族の食卓で築いているともいえるのです。

仕分け皿のブームは、自分の好きなものをなるべく手間をかけず食べる、という無意識の個食感覚が窺えます。家族という最も身近な仲間と同調したり、お世話したりする心が弱くなり、結果共感能力や貢献感が低下することになります。
少子化の時代だからこそ、家族の食卓には、向かい合い、分かち合う「食事文化」が必要です。そう思うと、仲間とともにいただく幼稚園の給食の時間も、じつに貴重な教育の場だと改めて感じさせられるのです。

 

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