赤色赤光

人生を下山する。五木寛之「人間の覚悟」を読む。

2009年5月7日

「高齢者」という言葉は戦後生まれた新語だそうです。「老齢者」「老年者」は「老い」を連想するので、好まれなかったのでしょう。言い換えた分、私には「高齢者」からは「老い」という抜き差しならない人生の大命題に対し、正面から向き合う姿勢が感じられない。老いの生き方とか死生観とかいった哲学は、消し取られたような気がします。

五木寛之さんのベストセラー「人間の覚悟」を読みました。人生を登山に例えた、「下山の哲学」という持論がとても共感できました。

登山は登頂の一方通行のみならず、安全に下山(山を下りる)できてこそ成功したといえる。頂上を極めることだけが人生の目的ではない。きちんと安全、かつ優雅に山を下りていくことが人間の生き方ではないか、と五木さんが指摘します。

「人生の前半に登山の時期を終えたら、今度は下山の時期を考えるのです。下山はけっして惨めなことではない。穏やかで豊穣で、それまでの知識や情報では及びつかなかったような智慧にふれる、そういう期間であるはずです」(同書)

そういえば、お釈迦さまも29歳でそれまでの修行から下山し、浄土宗の元祖法然上人も43歳で比叡山を下山しています。人生50年にも満たなかった時代のことです。それらは人生からの落伍でも脱出でもなく、大きな「転機」として考えるべきでしょう。

「老い」は成熟と同義です。同時に「枯淡の境地」といわれるように、即物的な価値から離れた聖なる時間でもあります。老後の楽しみが、海外旅行やグルメだけでは少々さびしい。超高齢社会の現代、「老い」をどう生きるのか、日本人全体の問題だと思います。
 

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