震災から2度目の春。恩贈りについて。
2013年3月11日

震災から2度目の春を迎えました。
震災直後には、誰も彼もが生きるのびることに懸命でした。それが1年、2年と時が打ち過ぎていくと、別の感情が沸き起こってきます。断ち切れない悲しみであったり、当て所ない無力感であったり。また、今はまだ微力だけど、自分の体験から恩贈りをしようとする、若い人たちも現れています。
震災を機に保育士になろうと決めた高校生がいます(朝日新聞3月1日号より)。あの時、身を寄せた親戚宅で子どもたちの笑顔に救われた。そんな子どもたちを守れるような存在になりたいと、彼女は恩を贈ろうと決意します。町を出て、短大に通って、そして資格を取ったらまた町へ帰ってくる。彼女のふるさとは、あの大槌町です。
「私がどの程度、役にたつのかわからないけど、町がいくら計画しても、私のような若い世代が戻って働かなければ、復興につながらないのでは、と思います」
AからBへ、BからAへと交換するのが恩返しですが、恩贈りは、AからBへ、さらにCへ、Dへとリレーされていきます。AはCを知らなかったり、Dとは無関係だったりするのですが、恩は利害を超えて伝播していきます。大槌町のこの子の決心のように。
先日、災害支援の研究者である大阪大学の渥美公秀さんの話を聞く機会がありました。阪神淡路大震災を契機として、台湾、豊岡、イラン、中越、四川…と、国内外の被災地を巡り、そこで生起する人間の行動や交流を研究している渥美さんは、被災地の間に恩贈りのリレーが起きていると語ります。西宮(阪神)から中越へ、中越から東北へ、人は被災地をつないでいく。南三陸町の人たちが、渥美さんにこう語ったそうです。
「みなこうしてお世話になった。次にわれわれが今度どこかでお役に立てるようになったら、それが本当の復興です」
される側から、する側へ。恩贈りの裾野は広い。一人称複数形が無限にひろがっていきます。「おかげさまで」の連鎖です。
その恩贈りを見守る人の存在も必要でしょう。道のりは遠い。前述の高校生の決心を応援している担任の教師が、こんなふうに彼女を励ましています。
「復興には今の高校生の力が必ず必要になる。じっくり力をつけて、10年後、20年後でいいから必ず帰ってきてほしい。それまでは、大人ががんばらなくては」
復興は被災地だけではありません。日本人みんなの心の復興だって大切です。家庭や地域、学校、会社だとしても、今ある縁を当たり前の関係だと軽んじず、無数の恩が交通しているのだと想像してみましょう。そして、あなたがもし幼い子どもの親であり(先生であるのなら)、まだ遠い未来を見つめながら、確かな一日の足下に感謝の気持ちを返してほしいと思います。
生きていてくれてありがとう、と。