赤色赤光

新年のご挨拶。新しい時代へ、つながりを求めて。

2019年1月15日

少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。平成最後のお正月、いかがお過ごしになりましたか。

年末の毎日新聞で、この30年間を振り返り、平成時代に「得たもの」「失ったもの」にちて読者アンケートをしていました。いずれもトップは「家族」でしたが、その後、前者は「地位」「マイホーム」「友人」と、後者は「心」「つながり」「思いやり」と続きます。「得た」ものは形や人格があるが、失ったものは内面的であり、また必ず相手を伴います。別の言葉でいえば、得たものは所有できるが、失うものが、誰かと共体験していると言えます。つながりは一人で失うことはできません。私だけでなく、相手もまた失っている。そこへ想像力を失ってはいけないと思います。

しかし、なぜこれほど「つながり」が関心を集めるのか、平成という時代特有の傾向と感じます。昭和的な共同体、家族、地域、会社といった縁が安定していた頃、殊更に「つながり」が強調されたことはなかった。時代の中で、よくもわるくも個人に注目が集まりましたが、それだけ皆孤独で、仲間を求めていると言えるのかもしれません。

AIの時代、これからどんなつながりが出てくるか、わかりません。が、テクノロジーが進化すればするほど、人間の感覚、身体感覚や言語感覚、リズム感覚といったものが大事なつながりの軸になっていくことでしょう。「場」や「体験」を共有し、みんなで時間を過ごす、一緒に行動する。じっと待つとか、じっくり手をかける、どっさり汗をかくとか、そういう職人の世界のような肌感覚がこれからの拠り所となるような気がします。人間は情報を共有していればわかりあえているわけではないのです。

年初にあたって改めて思うことは、幼児教育の原理とは、そういう身体性に依拠するものでなくてならないという点です。自分に正直な身体感覚とか、時間感覚が共有できて、初めて他者との共感や信頼は生まれます。つながりとは、利害関係とは違うのです。

3学期が始まりました。卒業進級までわずか2ヶ月と少しです。言い換えればこれまでの園生活のつながりを深め、固める時を迎えています。元気な日課活動の声がクラスのあちらこちらから聞こえてきます。新しい時代へ、仲間どうしのつながりを高めあうような、そんなよろこびの声が響いています。

今年もよろしくお願い申し上げます。

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