赤色赤光

■年の暮れ、心を掃除する。パドマの先生たち。

2018年12月25日

今日は、幼稚園は大掃除、先生方が朝から園舎をきれいに掃き清めてくれています。
掃除といえば、お釈迦さまのお弟子・周利槃特(しゅりはんどく)の話を思い出します。愚鈍と蔑まれながら、「塵を払い、垢を除かん」とそれだけを繰り返し、生涯掃除に精進した彼は、掃除とは結局、自分の心を清めることだと悟った聖人です。

身内褒めのような話でお許しいただきたいのですが…
秋の入園志願の保護者面接では、多くのお父さんお母さんから「先生方がすばらしい」「熱意や意欲があふれている」と賛辞をいただくことがあります。子どもに対する愛情はどちらの園も同じかと思いますが、パドマの先生の特徴として一つ挙げれば、入職して以来身近に仏教に親しんでいるから、ではないでしょうか。

職場は礼拝に始まり、念仏に終わる日々。仏賛歌はもちろん子どもと毎朝お勤めをする仏教園は希少でしょうし、終礼で毎日のように園長から仏教の話を聴くことも「修行」の一つかもしれません。
何よりも仏教園の職員として、自らの仕事を使命として捉え、教員として研鑽と奉仕の精神で取り組む、その姿こそ美しいのでしょう。
使命とか奉仕という言葉は現代ではふさわしくないのかもしれません。もちろんワーク・ライフ・バランスは教育の世界でも同じであって、無理を強いる職場であってはなりませんが、しかし、理想を求めて、絶えず自己を高めようとする不断の営みは、子どもにとっても、また教員自身の人間的成長にとっても大きな糧となることは間違いありません。
そうならしめているものがあるのだとしたら、それこそお寺の幼稚園として仏教の精神が染み込んでいるパドマの気風であり、園文化ではないかと思います。

正邪の判別がつきにくい時代です。多様性といいながら、何でもありの放逸な状態を生んではいないでしょうか。もちろん力で圧倒したり、断罪するのは横暴に過ぎません。一人一人の権利や主体性は絶対守り抜かねばなりません。
だからこそ、今必要なものは、時代や社会がどんなに目まぐるしく変化しようとも、それを超えてしっかりと基底に据えられた普遍の価値、侵すことのできない尊厳のようなものではないでしょうか。幼児期における訓育・徳育にもっとも必要な環境でもありましょう。

先生たちが保育室の床を、廊下を清めるように掃除しています。きっと今日は、心が磨かれ、くもりも晴れるでしょう。年改まれば、気持ち新たに3学期、さぁ、それぞれの学年の集大成となります。

一年間ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。

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